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[[Image:Fo g0039.jpg|thumb|220px|right| [[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]]]
 
'''ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス'''('''Getúlio Dornelles Vargas''' , [[1882年]][[4月19日]] − [[1954年]][[8月24日]])は、[[ブラジル]]の[[政治家]]。男性。[[1930年]]から[[1945年]]までの間と、[[1951年]]から[[1954年]]までの間に[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]を努めた。愛称はGEGE(ジェジェ)
 
== 経歴 ==
[[1882年]]に[[ブラジル南部]][[リオグランデ・ド・スル州]]の[[サン・ボルジャ]]([[:en:São Borja|São Borja]])で生まれた。[[1911年]][[3月]]には[[ダーシー・リマ・サラマンホ]]と結婚。[[政治家]]としては州議会議員、連邦議会議員を経て、[[1926年]]から[[1927年]]には大蔵大臣も務めた。

[[1930年]]の大統領選挙で敗れるが、当時の政治腐敗などの不満を背景に軍事クーデタを成功させて政権を掌握した。[[1934年]]に議会から認められて正式に大統領の座についた。[[1937年]]、大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行った。(この時期を[[エスタド・ノヴォ]]体制(新国家体制)とも称する。)彼の独裁は[[第二次世界大戦]]中も続くが、終戦後の[[1945年]][[10月]]末に軍事クーデタが起こり失脚した。
 
[[1951年]]には、ヴァルガスはかつてのような軍事クーデタでなく、ブラジル史上初の民主的選挙によって大統領に就任した。その際、都市[[プロレタリアート]]や左翼からの支持を集めるため、その政治姿勢はかつてより左傾化しており、このめに第二次ヴァルガス政権と、以降1964年までの諸政権の時代を[[ポプリズモ]]時代と呼ぶ
 
政権末期は[[国民解放党 (ブラジル)|国民解放党]]([[共産党]])に接近。[[1954年]]にはこれに反発を抱いた[[アメリカ合衆国]]から[[独裁政治]]を糾弾される。また、反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、ヴァルガスへの退陣要求が強まった。こうした中、[[1954年]][[8月25日]]にヴァルガスは[[拳銃|ピストル]][[自殺]]を遂げた。