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寺伝によれば、[[天平]]年間(729年-749年)に[[聖武天皇]]の勅願により[[行基]]が開創したものという。中世には貴賎の信仰を集め、[[江戸時代]]には[[岸和田藩]]主[[岡部氏 (藤原南家)]]の帰依を受け、寺運は隆盛した。現在の堂宇は江戸時代後期に再建されたものである。
 
[[江戸時代]]には[[岸和田藩]]主の手厚い保護で栄えた寺で、1925年に参拝客を運ぶために「[[水間鉄道]]」が開通した。
 
病床の[[聖武天皇]]の夢に現れた[[観音菩薩]]を求め、[[行基]]が2つの川が合流する「[[水間]]」にやってくると観音の化身である16人の[[童子]]に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと伝わっている。
その滝は、現在の本道の裏を流れる小川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。