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*[[道の駅]]で売られている弁当。
*[[北海道方言|北海道弁]]の略称。
*[[鎌倉時代]]の[[浄土宗]][[僧侶]]。本項にて解説する。
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'''道弁'''(どうべん・'''道遍'''、[[嘉応]]元年([[1169年]])-没年不詳)は、[[鎌倉時代]]初期の[[御家人]]・[[浄土宗]][[僧侶]]。俗名は'''渋谷 七郎'''('''石川'''とも、[[諱]]不詳)。[[相模国]][[大庭御厨]]石川郷の出身と伝えられるが、記録上石川郷があったのは、隣の[[渋谷荘]]であったこと、渋谷荘の支配者である[[渋谷重国]]の子[[渋谷重助|重助]]の子孫が「石川氏」と名乗ったとされていることから、道弁も渋谷荘石川郷の渋谷氏(石川氏)の一員であったと見られている。
 
初めは[[鎌倉幕府]]の御家人であったが、[[建久]]4年([[1193年]])に[[熊谷直実]]が[[法然]]の許で[[出家]]したという話を知って、彼も[[上洛]]をして法然に弟子入りして出家した。この時25歳であったという(『円光大師行状画図翼賛』)。その後、数年間法然の許に近侍しており、[[親鸞]]が『[[西方指南抄]]』において「聖人根本ノ弟子」の1人と評した「シノヤ」とは「渋谷」すなわち道弁のことであったと考えられている。
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その後、相模国に帰国して法然の教えを広めたほか、[[上総国]]周東にいた[[在阿]]らと宗義に関する往復問答を行って、在阿が[[良忠]]に弟子入りする仲介をしたとされている。[[嘉禄の法難]]の際には京都に駆けつけて[[延暦寺]]の[[僧兵]]から法然の遺骸を警固して無事改葬を行っている。
 
== 参考文献 ==
*小此木輝之「道遍」『法然辞典』(東京堂出版、1997年) ISBN 978-4-49010-456-1
*『日本仏教人名辞典』(宝蔵館、1992年) ISBN 978-4-83187-007-0
*『浄土宗大辞典 3』(浄土宗大辞典刊行会、1980年) ISBN 978-4-79630-903-5
 
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