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battle_name=モルビアン湾の海戦
|campaign=ガリア戦争
|image=[[Image:Bataille Morbihan -56.png|300px]]
|caption=モルビアン湾海戦要図
|conflict=[[ガリア戦争]]
|date=[[紀元前56年]]
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|result=ローマ軍の勝利
|combatant1=[[共和政ローマ|ローマ]]
|combatant2=[[ウェネティ族]]
|commander1=[[ユリウス・カエサル]]</br>[[デキムス・ユニウス・ブルートゥス|デキムス・ブルートゥス]]
|commander2=
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|casualties2= 200隻以上?
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'''モルビアン湾の海戦'''(仏:''Bataille du Morbihan'')とは、[[ガリア戦争]]中の紀元前56年に[[ウェネティ族]]を中心としたガリア人勢力と[[ガリア]]総督[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]率いるローマ軍の間で行われた海戦である。モルビアン湾([[:en:Gulf of Morbihan|en]])またはキベロン湾([[:en:Baie de Quiberon|en]])が戦闘区域となったことから、'''キベロン湾の海戦'''、'''モルビアンの戦い'''とも称される。
== 開戦まで ==
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モルビアン湾及びキベロン湾一帯の海域は[[浅瀬]]や[[干潟]]が多かったが、ウェネティ族が保有する軍船は浅瀬や干潮時でも対応できるように船底が低く、また大波や強風にも対応できるように船首や船尾を普通の軍船より高くすると共に[[亜麻]]に比べて頑丈な獣皮製の帆を張ったものであった。風力を動力源とするウェネティ族軍船に比べて船速は勝ったものの、周辺海域への順応度の点でローマ軍は大きく見劣りした。
両海軍は午前10時頃に衝突したが、司令官デキムスは先端部位に鉄製の鈎を取り付けた長い竿を用意して、それらをウェネティ族軍船の網に引っ掛けて、[[マスト]]や帆を引き倒す策に出た。ちょうど[[凪]]であったことに加えて、人力で漕ぐことの出来ないウェネティ族軍船が立ち往生となったところをローマ軍兵が乗り込み、白兵戦でウェネティ族の兵士を圧倒して、次々にウェネティ族軍戦を占領した。日没まで行われた海戦でウェネティ族海軍は僅かの軍船のみを残して壊滅状態となった。
==戦後==
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{{DEFAULTSORT:もるひあんのかいせん}}
[[Category:紀元前の戦闘]]
[[Category:
[[Category:海戦]]
[[Category:ガリア]]
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