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'''磐光ホテル'''(ばんこう-)は、[[福島県]][[郡山市]]熱海町の[[磐梯熱海温泉]]にかつてあっ存在した[[ホテル]]である。典型的なホテル火災の事例である[[1969年]]に発生した[[大火]]で知られている
 
== 沿革 ==
磐光ホテルは、'''磐梯観光'''<!--(磐梯国際観光?)//-->株式会社(本社:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋蛎殻町]])という会社が経営していた。同社は元[[不動産]]会社であり、[[磐梯高原|裏磐梯]][[五色沼 (福島県北塩原村)|五色沼]]周辺を開発し別荘地として分譲していたが、[[1963年]]頃には、[[日本国有鉄道|国鉄]](現[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[磐越西線]][[磐梯熱海駅]]から東に100mほどの外れにあった[[旅館]]を[[買収]]してホテル経営に乗り出した。[[1965年]]にホテル本館([[鉄筋コンクリート]]4階建て)が完成、その後新館別館などが次々にでき建設され、[[1968年]]5月には[[演芸]][[エンターテインメント|娯楽]][[施設]]や[[食堂]]などを擁する[[レジャー]]施設'''磐光パラダイス'''(鉄筋コンクリート3階建て)、同年9月にはホテル'''ニュー磐光'''が隣接地に落成した。同社はここまでの段階で当時で約10億円規模の資を投入し、その結果、客室220室収容可能人数1,300人の豪華ホテルが誕生した。
 
磐光パラダイスは、[[キャバレー]]・温水[[温水プール]]・[[映画館]]・こどもの楽園などを一体化した地方としては当時珍しかった大型総合レジャー施設に加え[[ヌーディスト]]クラブをはじめとした特異なショを売り物としており、[[週刊誌]]など等の[[マスメディア]]しばしば話題となっていた。また東日本を中心に[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]も頻繁に放送されていた。
 
== 火災 ==
[[1969年]][[2月5日]]21時10分頃、ホテル1階の大広間において、当時の当ホテルの目玉イベントであった[[金粉ショウ]]の小道具として用意されていた[[ベンジン]]を浸した[[たいまつ|松明]]に[[石油ストーブ]]の火が引火した。初期消火の失敗や折からの強風、[[空気]]の[[乾燥]]、さらには[[インテリア|内装]]に燃えやすい新[[建築材料|建材]]を使用していたこと、また[[階段]]室に防火[[扉]]が設置されておらず、防火[[シャッター]]も作動しないなど、[[防火区画]]実質的に皆無の状態であったことなどから、ホテルと磐光パラダイスほか全体に燃え広がり、最終的には、死者31人、負傷者41人、焼損面積15,511m&sup2;という大惨事となった。なお、隣接していたホテルニュー磐光は防火シャッターで区切られていたため類焼を免れた。
 
当日は[[風速]]10mを越す西風を伴う[[吹雪]]で、すでに昼過ぎには磐光パラダイスの[[屋根]]の[[アクリル樹脂|アクリル]]製の採光窓10枚が吹き飛ぶなど荒れ模様の[[天気|天候]]であり、夜に入って更に風速が増している状態であった。また、[[停電]]も頻繁に発生、夜になっても風速は更に増、この状態が続いた。
 
磐光パラダイスのショは本来はパラダイス3階のホールで行われるのだ予定であったが、当日は上述の通り屋根が一部壊れていたため急遽ホテル1階の大広間(300畳)が使用された。[[アイヌ]]ショ、[[サル]]の曲芸が終わり、歌手小高林太郎<ref>[[1960年代]]の数年間活躍した歌手。[[1964年]]、「夕焼峠」(原由記作詞、[[小畑実]]作曲)でデビュー。火災当時は同ホテルの芸能部に所属していた。</ref><ref>一部文献には小高ではなく[[小坂一也]]と書かれているものがあるが、これは誤り。</ref>によるステージが始まった。その頃舞台裏では続いて行われる金粉ショーの舞踊団「セブンスター」がショーの準備をしていた。舞踊師の1人がベンジンを浸した松明を石油ストーブのそばに無造作に置いたところ引火、舞踊師たちは慌てて、ショーの消火方法と同じように口で吹き消そうとしたが却って火勢は拡大、舞台の[[緞帳]]に燃え移って一気に燃え広がった。火が大広間側から見えないように中幕を降ろして"隠蔽"し、[[消火器]]などによる消火を始めたがその際には手をつけられない状態となっていた。歌手が火を発見し「火事だ!」と叫んだため大広間にいた客は[[パニック]]状態となり一斉に避難しようとしたが[[非常口]]が施錠されており、さらに時間を開けずに全館停電となったため避難は困難を極めた。
 
その頃舞台裏では、続いて行われる金粉ショウの舞踊団「セブンスター」がショウの準備をしていた。舞踊師の1人がベンジンを浸した松明を石油ストーブのそばに無造作に置いたところ引火、舞踊師たちは慌てて、ショウでの消火方法と同じように口で吹き消そうとしたが却って火勢は拡大、舞台の[[緞帳]]に燃え移って一気に燃え広がった。火が大広間側から見えないように中幕を降ろして"隠蔽"し、[[消火器]]などによる消火を始めたが、既にその段階では手をつけられない状態となっていた。異変に気づいた歌手小高が火を発見し「火事だ!」と叫んだため大広間にいた客は[[パニック]]状態となり一斉に避難しようとしたが、[[非常口]]が施錠されていたうえ、時間を開けずに全館停電となったため避難は困難を極めた。
宿泊客は[[パナソニック|松下電器]]系列の[[茨城県]][[日立市]]の販売会社に招待された団体客169人、国鉄[[石巻線]][[佳景山駅]]と[[ジェイティービー|日本交通公社]]石巻営業所共催企画の団体客48人、その他他ホテルからのショー見物客など78人の計295人がいた。大部分の客は従業員の誘導により避難できたが、逃げ遅れた客はホテル南側1階階段下の売店付近や、パラダイスの非常口付近で固まって一部は黒焦げの焼死体となって発見された。また、相次ぐ停電のため[[火災報知器]]のスイッチが切られていたこともあり、客室で寝ていて気づかず死亡した者もいた。新建材が発する有毒ガスによって窒息死した者もいた。
 
当夜の宿泊客は[[パナソニック|松下電器]]系列の[[茨城県]][[日立市]]の販売会社に招待された団体客169人及び国鉄[[石巻線]][[佳景山駅]]と[[ジェイティービー|日本交通公社]]石巻営業所共催企画の団体客48人となっており、そのほか他ホテルからのショ見物客など78人をあわせ、火災発生時点で従業員以外顧客が計295人存在していた。大部分の客は従業員の誘導により避難できたが、逃げ遅れた客はホテル南側1階階段下の売店付近や、パラダイスの非常口付近で固まって一部は黒焦げの焼死体となって発見された。また、相次ぐ停電のため[[火災報知器]]のスイッチが切られていたこともあり、客室で寝ていて気づかず死亡した者もいた。さらには、新建材が発する有毒ガスによって[[窒息死]]]した者もいた。
郡山市[[消防署]]は第三出動指令を出し、郡山市内をはじめ隣接市町村の消防署から[[消防車|ハシゴ車]]1台、ポンプ車12台、[[救急車]]2台を出動させたが、[[アイスバーン|凍った道路]]や吹雪に妨げられ現場への到着に手間取り、その後も悪天候な上、渇水期のためか水の便は悪く消火は難航。放水した水も吹雪に巻き上げられて目標に命中できなかったうえ凍って隊員のほうに降り掛かってくるなど悪条件が重なり効果は得られず、なすすべなく燃えるに任せてほぼ燃え尽き、一部建物は崩落した。
 
郡山市[[消防署]]は第三[[出動指令]]を出し、郡山市内をはじめ隣接市町村の消防署から[[消防車|ハシゴ車]]1台、ポンプ車12台、[[救急車]]2台を出動させたが、[[アイスバーン|凍った道路]]や吹雪に妨げられ現場への到着に手間取り、その後も悪天候なうえ、渇水期のためもあって水の便悪く消火は難航した。放水した水も吹雪に巻き上げられて目標に命中できなかったうえ、逆に凍って消防隊員のほうに降り掛かってくるなど悪条件が重なり、消防効果をほとんどられることが出来ず、なすすべなく燃えるに任せざるを得ない状態となった。建物はほぼ燃え尽き、一部建物は崩落するに至った。
 
翌日、松明を石油ストーブのそばに置いた29歳の舞踊師が'''重失火'''と'''重過失致死傷容疑'''で逮捕された。
 
多くの死傷者を出した原因として、増によって内部構造が複雑になっていたこと、[[火災報知器]]が鳴らない状態になっていたこと、非常口が開かない状態になっていたことなどが挙げられる。これについては当時のホテル総務課長に対し、禁固2年執行猶予2年の有罪判決が下されている。
 
== 火災発生後 ==
ホテルは全て取り壊され、[[名古屋鉄道]]により買収されたうえで「磐梯グランドホテルとして再建。また、火元となり焼け落ちた娯楽場磐光パラダイスも再建されて近年まで営業を続けていた。しかし、親会社名古屋鉄道の経営リストラ策として[[2000年]](平成13年)にホテルともども閉鎖され、磐梯グランドホテル・磐光パラダイスとも現在は取り壊されて更地となっている。
 
== 関連項目 ==