「高知縣護國神社」の版間の差分

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社格=内務大臣指定護国神社・別表神社|
創建=[[明治]]2年([[1869年]])|
例祭=[[4月122日]]・[[11月122日]]}}
 
'''高知県護国神社'''(こうちけんごこくじんじゃ)は、[[高知県]][[高知市]]にある[[神社]]([[護国神社]])である。国難に殉じた高知県関係の護国の[[英霊]]4万1千余柱を祀る。
高知県護国神社奉賛会がある。
 
==祭神==
明治維新志士四天王とされる[[武市半平太]]命・[[坂本龍馬]]命・[[中岡慎太郎]]命・[[吉村寅太郎]]命をはじめとし、東征の陣で没した土佐藩士105105柱。
 
[[堺事件]](慶応4年に起きた堺事件で没した11名の土佐藩士。
 
慶応4年に起きた堺事件で没した11名の土佐藩士。
安芸郡勤皇党の二十三士。
幕末以来日清・日露、大東亜戦争にあたって国家公共の為に殉じた高知県にゆかりのある英霊。
 
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==歴史==
[[明治]]元年([[1868年]])、[[土佐藩]]主[[山内豊範]]が藩校[[致知館]]で、[[武市半平太]]・[[坂本龍馬]]・[[中岡慎太郎]]・[[吉村虎太郎]]をはじめ東征の陣歿藩士105柱を招魂し、その御霊を鎮祭するため、現在の五台山大島岬に大島岬の地に社域を定め、翌年の[[明治2年]]に建社の土地に因んで大島岬神社と称して社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したことに始まる。
明治8年5月31日に[[招魂社]]と改称、昭和14年([[1939年]])に高知県護国神社に改称して特定護国神社となった。
[[第二次大戦]]後は占領下における宗教法人令によって国の管理を離れ、社号も元の大島岬神社と称していたが、日本の主権回復後崇敬者多数熱望により、[[昭和34年]]元の社名に復した。
[[昭和41年]]7月1日、[[神社本庁]]の別表神社に加列する。
 
 
 
==境内社==
開拓神社
 
 
 
==主な祭日==
'''春季大祭(宵宮)''' 4月 1日
  '''春季大祭'''  4月 2日
   '''みたま祭''' 8月15日 
 
'''秋季大祭(宵宮)''' 11月 1日
   '''秋季大祭''' 11月 2日 
 
 
 
'''命月祭'''  毎月10日・20日・27日
 
'''命日祭'''  毎朝午前7時