「弥生 (睦月型駆逐艦)」の版間の差分

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[[太平洋戦争]]開戦時は[[第四艦隊 (日本海軍)|第4艦隊]]第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属し、第1次、第2次[[ウェーク島の戦い|ウェーク島攻略作戦]]に参加。その後も[[ラバウル]]方面、[[ブーゲンビル島]]、[[モレスビー]]の各攻略作戦に参加した。[[1942年]](昭和17年)7月9日に一旦[[佐世保港]]へ帰港するが、[[アメリカ軍]]の[[ガダルカナル島]]上陸により8月15日に佐世保を出港、[[ソロモン諸島|ソロモン]]方面へ進出する。第30駆逐隊の「[[睦月 (駆逐艦)|睦月]]」「弥生」「[[望月 (駆逐艦)|望月]]」の3隻<ref>『艦長たちの太平洋戦争 続編』p119による。『<small>写真</small> 日本の軍艦 第10巻 <small>駆逐艦I</small>』p55の望月行動年表によると「望月」この時はまだ佐世保にいる。</ref>は8月22日夜半<ref>『<small>写真</small> 日本の軍艦 第10巻 <small>駆逐艦I</small>』p54による。『艦長たちの太平洋戦争 続編』p119では8月24日とされている。</ref>にガダルカナル島を約10分間砲撃、同島への艦砲射撃の第1号となった。25日の「睦月」の沈没で乗員を救助しラバウルへ帰還、その後も8月28日に[[ラビ]]攻略作戦に参加、部隊を上陸させるなどソロモン・[[ニューギニア]]方面で活動した。
 
9月10日に「[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]」と共に[[ラビ]]攻略部隊を撤収させるためラバウルを出港した。9月11日にラビの東にあるノルマンビー島の東方で[[B-17]]、[[B-25 (航空機)|B-25]]約10機による空襲を12時ごろから受け、後部への爆弾命中により舵が故障、続いて航行不能となり16時ごろ沈没した。僚艦の「磯風」は空襲の回避運動のため「弥生」から離れてしまい乗員が救助が出来ず、本艦の生存者はカッターでノルマンビー島に上陸した。同島では飢餓に悩まされたが9月26日に「磯風」「望月」によって艦長以下83名が救助された。同年10月20日除籍。
 
== 歴代艦長 ==