「金砂城の戦い」の版間の差分
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10月27日、頼朝は軍勢を引き連れ佐竹氏のいる常陸に向かって出発する。この日は頼朝の衰日(陰陽道で行動に支障があるとされる日)にあたり、周囲は出発に反対したが、頼朝は「27日こそ以仁王の令旨が到着した吉日である」として反対を押し切って出陣した。11月4日、頼朝は常陸[[国府]]に入る。そこで軍議が開かれた。
まず、佐竹一族の一人[[佐竹義政]]が、縁者である[[上総広常]]に[[矢立橋]]に誘い出された所を誅殺された。この動きを見て動揺した佐竹氏の中には頼朝方に寝返ったり逃亡する者も出てきた。5日、[[金砂城]]に立て籠もった[[佐竹秀義]]らに対して総攻撃が仕掛けられ、[[熊谷直実]]、[[平山
その後、城を守っていた秀義は[[陸奥国|奥州]](または常陸奥郡)の[[花園城]]へと逃亡した。
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