「西フラマン語」の版間の差分

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この考え方は、特に19世紀後半に西フラマン語純粋主義者の運動を通じて支持された。運動の支持者らは「半分ユダヤ的で半分異教徒的な高地ホラント語」の導入に反対した。ベルギーでのオランダ語の標準語化に抵抗し、「父なるフラマン語」つまり西フラマン語保持のために闘争を行った。方言学者のレオナート・ローデウェイク・ダ・ボーや詩人のヒュイド・ヘゼルを中心としたカトリック教会は標準オランダ語を通したプロテスタントの流入を恐れた。
 
標準オランダ語の教育が進められ、特に20世紀末になると一般に方言は厳しい状況を迎えている。しかし、農村としての性格が強く、遠隔地で話されていることから、西フラマン語は他の方言と違って恵まれた立場にある。フランドルでは最も重要な方言であり、若者を含めた幅広い層に話されている。実質的にあらゆる会話は西フラマン語で行われる。1993年に[[ベルリン自由大学]]のドイツ・オランダ文献学研究所が行った学生の方言知識に関する調査によると、アントワープウェルペンで62%、リンブルクでは40%にとどまったのに対し、西フラマン人学生の88%が今も方言を話していることが分かった。
 
== 北海ゲルマン語的特徴 ==