「ウジェーヌ・アジェ」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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===成人するまで===
[[馬車]]の大工・修理工の長男として生まれた。5,6のとき孤児となり叔父に引き取られる。
両親が若くして亡くなったため,アジュが5,6のとき叔父に引きとられる。おじの都合により彼の出身地であるパリに移り住む。
 
叔父はアジェを司祭職に就かせようと考え,アジェを神学校に通わせた。アジェはギリシア語とラテン語を学んだ。
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1878年,アジェは音楽家や俳優を養成する学校のコンセルヴァトワールを受験する。しかし失敗。翌年,合格する。兵役のために演劇学校も中退する。俳優になりたいという希望も挫折する。
24の頃,地方回りの役者になる。
 
1886年に生涯の伴侶となる女優ヴァランティーヌ・ドラフォス(本名ヴァランティーヌ・コンパニュン)に出会う。彼女には8歳となる息子ヴァランタン・コンパニュンがいた。
 
1886年より二人はいっしょに旅回りを続け,グルノーブル,ディジョン,パリ郊外で公演をする。これらの詳細はヴァランティーヌの記録から知ることができる。しかし,アジェの名前は記録にはない。
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1897~1902年の間,ヴァランティーヌはラ・ロッシュで公演をするが,アジェは1898年に劇団を解雇され一人パリに戻る。
 
パリに戻ったアジェは画家になろうとする。41である。アジェが描いていたのは風景画である。印象派風の木を描いた油絵画が残されている[5]。しばらくして画家への道を断念する。ただ、画家になることを諦めた後も絵を描いている。
 
===第1次世界大戦まで===