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'''徳川 匡時'''(とくがわ まさとき、[[文化 (元号)|文化]]2年(1805年) -  - [[天保]]10年([[1839年]]))は、[[御三卿|徳川御三卿]]の一つ[[田安徳川家]]の世嗣。第3代当主・[[徳川斉匡]]の次男。
 
田安徳川家の嫡子であったが、父・斉匡は兄の将軍[[徳川家斉]]の子である[[徳川斉荘]]を養子に迎える。このため、匡時は病弱を理由に天保7年([[1836年]])8月、廃嫡された。天保10年(1839年)、35歳で没した。
 
 
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