「安土城」の版間の差分

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現在は[[干拓]]などによって湖岸からやや離れ、安土山の全体に城郭遺構が分布しており、当時の建築としては城山の中腹に所在する[[総見寺|摠見寺]]の境内に仁王門と三重塔が残っている。また二の丸には信長の霊廟が置かれている。滋賀県は{{和暦|1987}}から20年計画で安土城の発掘調査を行っており、南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された伝[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]邸や伝[[前田利家]]邸、[[天皇]][[行幸]]を目的に建設したとみられる[[内裏]]の[[清涼殿]]を模った本丸御殿などの当時の状況が明らかとなりつつあり、併せて石段・石垣が修復工事されている。
 
築城の目的は[[岐阜城]]よりも[[京都|京]]に近いため利便性があり、加えて[[北陸街道]]から京への要衝に位置していたことから[[武田信玄|信玄]]亡き後信長の最大の脅威であった[[上杉謙信]]の上洛を阻止できる立地条件にあったためとされている。その規模、容姿は[[太田牛一]]や[[宣教師]]の記述にあるように'''天下布武'''、信長の天下統一事業を象徴する城郭であり、山頂の[[天守|天主]]に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされるらしい
 
== 歴史・沿革 ==