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==略歴==
[[長野県道8号飯田南木曽線 #沿線|大平街道]]が開通したことにより、[[木地師]]の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、[[信濃飯田藩]]から許可を得て開墾したことに始まる。五平治は炭焼きを中心とした林業のため、新七は飯田-木曽間の穀物流通を進めるため、木曽地域の百姓数家族とともに大平を開墾した。また、大平街道の安全を図るため、街道の改修工事なども積極的に行った。
 
その後、飯田藩により大平街道の通行を命じられた者や[[元善光寺]]参りの参拝者が滞在するようになり、文化年間(1810年代)には茶屋宿として栄えた。