削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
44行目:
{{by|2007年}}はスライダー中心の投球から、カーブ、フォークを多めに使う投球に変化した。特にフォークで三振を奪うシーンが目立ち、[[三振#奪三振|奪三振]]数は前年より増えリーグ10位を記録する等、多くの面で改善が見られた。一方で[[テリー・コリンズ]]新監督の方針により、100球前後の球数制限が設けられ、完投は7月24日の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦(わずか98球での無四球完封勝利)と8月7日の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦の2試合と前年の10試合から激減した。なお、前者の試合では、同姓の[[平野恵一]]が3回裏に先制1号ソロ、5回裏には追加点となる犠牲フライを放ち、平野佳を援護する活躍を見せ、2人が試合後のお立ち台に上がり、「ダブル平野」でのお立ち台が初めて実現した。また、球数制限を意識するあまり、[[ストライクゾーン]]に球を集め過ぎたのが災いしたのか、シーズン序盤は[[本塁打#被本塁打|被本塁打]]が多く、中盤以降は減ったものの通年では[[川越英隆]]に次いでリーグ2位の18被本塁打。前年を上回る8勝を挙げ、防御率も良化したが、援護がなかったり、中盤に炎上するなど点の取られ方が悪く、前年同様にシーズン後半になると失速していく傾向も変わらず、リーグワーストの13敗を記録した。9月24日の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦では[[リリーフ#抑え|抑え]]として登板。「今後も抑えで起用したい」とコリンズ監督は発言したが、この年最終登板だった9月30日の[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦では先発だった。同年の秋季キャンプではコリンズ監督に、[[チェンジアップ]]の習得と直球の制球力向上を命じられた。
 
{{by|2008年}}は、「チームにとっても、自分にとってもおめでたい年になれば」という意味を込めて、自身のグラブに“寿”の一文字を縫い込み、「自身の成績がチームの勝敗を左右する」と発言するなど、「次期エース」ではなく、「エース」としての自覚をもって臨む決意を示していたが、シーズンイン直前に肘痛で離脱。検査の結果、骨の断片が肘に入っている状態(遊離軟骨)であることが判明し、3月27日に神戸市内の病院で遊離軟骨の除去手術を受けた。<!--8月8日、一軍の練習に参加。状態は完全ではないとしながらも、フリー打撃に登板した。また、フォームを従来の常時セットアップから、ワインドアップに修正した。-->この年は一軍登板はなかった。
 
==人物==