「空軍士官学校 (アメリカ合衆国)」の版間の差分

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[[1949年]]に新設空軍の要求に見合う士官を育成するため、[[文民]]指導層や軍事教育家の[[評議委員会]]が設立された。この評議委員会は、空軍士官に必要な資質を育成するのに、[[陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|陸軍士官学校]]や[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]の教育内容を拡張しただけでは不可能だと考え、空軍士官専門の[[士官学校]]を設立すべきだと提言した。これにより、当時の[[アメリカ合衆国空軍長官|空軍長官]]である[[スチュアート・サイミントン]]が、[[1949年]]に空軍士官学校の候補地選考会を設立した。その後、[[1954年]][[4月1日]]に[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー大統領]]が空軍士官学校の設立を認定、候補地選考会は候補地を45州の580か所を検討し、3候補に絞った。1954年の夏、コロラド州コロラドスプリングスに空軍長官の[[ハロルド・タルボット]]が決定した。空軍がその土地を購入する際、コロラド州は100万ドルの寄付をした。[[1955年]][[7月]]に空軍士官学校の建設工事が開始され、第1期生が[[デンバー・ロウリー基地]]に設立された仮設校舎に入学した。[[1958年]][[8月]]に士官学校が完成、士官候補生達は移駐した。建造費は1億4,200万ドルであった。
 
[[1976年]][[6月28日]]に初の女性士官候補生、157人[[1980年]]に卒業を目指し、入校した。そして、1980年[[5月28日]]に、女性候補生のうち97人が卒業した。
 
== カリキュラム ==