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2008年10月31日 (金) 10:11時点における版
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水平芳
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水平芳
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12行目:
廃仏毀釈運動は明治以降、[[第二次世界大戦]]の敗戦まで一部の過激な神道家とこれに追随した一部民衆が行ったものの、一部地域を除き、民衆には普及しなかった。現代でも神社と寺院の違いが判らない者も多いという。中には神仏習合の風習を受け継いだり復興させたりするところもあるが、神道、仏教のそれぞれの内部では、お互いに忌避するむきもある。
西洋諸国に伍する近代国家創造の為、寺請制度等によって社会全般に影響力を持っていたと思われる聖職者層の影響力を、軽減する意図も、神仏分離にはあった可能性もある。
== 関連書 ==