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[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]王はパリ市とカペー家の先祖への敬意を込めて、王太孫ルイ・フィリップにパリ伯の称号を与えた。[[1830年]]以来、[[王党派|フランス王党派]]の中でも意見が分かれ、中道右派の[[オルレアニスト]]たちはルイ・フィリップとその後継者にパリ伯の称号を認めている。
 
[[1883年]]、シャンポール伯[[アンリ・ダルトワ]]の死によって[[フランスブルボン朝|フランス・ブルボン家]]の王位継承権者が途絶えたとき、[[ブルボン家#レジティミスト|レジティミスト(正統主義者)]]たちは後継者としてスペイン・ブルボン家の[[フアン・カルロス・デ・ボルボーン (モンティソン伯)|モンティソン伯フアン]]を立てたが、オルレアニストたちはモンティソン伯の先祖である[[スペイン]]王[[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]がフランスの王位継承権を放棄した前例ことを重視して、パリ伯ルイ・フィリップこそ正当なフランス王位継承者であると主張した。王党派の中にはこの王位継承権の放棄については異論があるという。
 
近年では、レジティミストたちは現在、アンジュー公[[ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン|ルイ・アルフォンス]]にこそ王位継承権があると主張しているが、オルレアン家の当主がパリ伯の称号を用いることは認めている。
 
==関連項目==