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{{Otheruses|代表的なトピックの説明|[[クラフトワーク]]、[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]などの音楽|テクノ・ポップ}}
'''テクノ'''(英:''Techno'')とは、
# ギリシャ語。「技術・技巧・芸術」をあらわす単語「Techne」(テクネ)を接頭辞として使用する場合、語尾変化し「Techno-」(テクノ~)とな
# テクノ・ポップの略称。詳しくは[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]を参照。
# ダンス・ミュージックのテクノのこと。当ページで記述する。
== 概要 ==
'''テクノ''' (英:''Techno'') とは、[[アメリカ]]の
== 歴史 ==
=== 黎明期 ===
1980年初頭、アメリカの[[シカゴ]]では黒人の[[同性愛|ゲイ]]や一般の黒人たちが集まるクラブにおいて[[ディスクジョッキー|DJ]]によるさまざまなダンスミュージックの実験的なDJプレイが繰り返されていた([[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック参照]])。そうした中、それまでのダンスミュージックにはなかった革命的な出来事が起こったのである。音楽作成の素人であり、その上音楽の知識もなく楽器の演奏もできないクラブ通いの少年たちが[[DIY]]でレコードを作り始めた。それは当時DJプレイでも使われていたドラムマシンの単調な反復のビートの上に、彼らの好きなレコードからベースラインやメロディを持ってきて組み合わせるという非常に稚拙な出来ではあったが、DJたちはこぞってそれらのレコードを採用した。こういったいわゆる「[[シカゴ・ハウス]]」や、そのサブジャンルであり偶然生まれた「[[アシッド・ハウス]]」によるムーブメントが当時の地元シカゴでは隆盛を極めていた。
1980年代前半から中盤にかけ、シカゴに隣接する都市であり、同じく黒人音楽の伝統を持つデトロイトでもシカゴとデトロイトを行き来する人々によりこのシカゴ・ハウスが持ち込まれ、新しい音楽の運動が生まれてくる。この音楽成立に関わった主なアーティストとしては、同じ学校に通った音楽仲間でありDJ集団も組んでいた[[ホアン・アトキンス]]、[[デリック・メイ]]、[[ケビン・サンダーソン|ケヴィン・サンダーソン]]らの、いわゆる「ビルヴィレ・スリー」
彼らの音楽はシカゴ・ハウスの影響を受けつつも、従来のハウス・ミュージックが持つ享楽性に対し厳しい現実を反映したシリアスな音楽を志向し、
=== 転機 ===
1988年、やがてこのデトロイトの新しい音楽に注目したイギリスのヴァージン・レコードの傘下から編集盤アルバムが発売される事となり、その広報の一環としてイギリスの雑誌「ザ・フェイス」内でデトロイトの特集記事が組まれた。取材の中でインタビュアーが「あなた方の音楽をどう呼んだらいいのか」と問い掛け、それに対しホアン・アトキンスが「おれたちはテクノと呼んでいる!」と答える。アルバムにはインタビューの内容と同期するタイトルがつけられ、「Techno! - The New Dance Sound Of Detroit」は発売された。このアルバムはヒットし、ここからシングル盤として分けられた「[[インナー・シティ (バンド)|インナー・シティ]]」の「Big Fun」はUKのダンスチャートのトップ10にランクイン
=== 勃興期 ===
1988年~1989年にかけてイギリス北部で[[セカンド・サマー・オブ・ラブ|セカンド・サマー・オブ・ラヴ]]と
== 語源 ==
テクノの第
トフラーの造語である「
== テクノに関連した音楽ジャンル ==
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== 参考文献 ==
<div class="references-small">
* アルビン・トフラー 『第三の波』 日本放送出版協会、1980年。
* 野田 努 『ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ』 河出書房新社、2001年、ISBN 978-4-309-26494-3。
* ビル・ブルースター、フランク・ブロートン
* 美馬 亜貴子 『テクノ・ポップ
* ロラン・ガルニエ
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