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{{Otheruses|代表的なトピックの説明|[[クラフトワーク]]、[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]などの音楽|テクノ・ポップ}}
'''テクノ'''(英:''Techno'')とは、
# ギリシャ語。「技術・技巧・芸術」をあらわす単語「Techne」(テクネ)を接頭辞として使用する場合、語尾変化し「Techno-」(テクノ~)となる。おもに欧米で[[学術用語]]として利用される。英語「Technic」(テクニック)の語源。例:テクノクラート、テクノフォビアなど。おもに欧米で[[学術用語]]として使用される。国内では理系の企業名に多用される
# テクノ・ポップの略称。詳しくは[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]を参照。
# ダンス・ミュージックのテクノのこと。当ページで記述する。
 
== 概要 ==
'''テクノ''' (英:''Techno'') とは、[[アメリカ]]の[[ミシガン州]][[デトロイト]]を発祥とする[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック]]である。
 
なお、19701978代末から1980年初期の日本国内において、主に海外や国内の[[シンセサイザー]]を取り入れた音楽全般、特に[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニューウェイヴ]]やシンセポップ、[[クラフトワーク]]に代表されるシンセポップ、ヨーロッパの前衛音楽([[プログレッシブ・ロック]])の1から現代音楽的な[[電子音楽]]そのもの、または[[ジョルジオ・モロダー]]ドイツやイタリアのユーロディスコなどのといった[[ディスコ|ディスコ音楽]]等々など、多岐にわたる音楽ジャンル[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]、ないはその省略形として「テクノ」と総称されまとめいた時期呼ぶムーブメントがあった。それらのいわゆる「テクノ」については別項[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]を参照すること。
 
== 歴史 ==
=== 黎明期 ===
1980年初頭、アメリカの[[シカゴ]]では黒人の[[同性愛|ゲイ]]や一般の黒人たちが集まるクラブにおいて[[ディスクジョッキー|DJ]]によるさまざまなダンスミュージックの実験的なDJプレイが繰り返されていた([[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック参照]])。そうした中、それまでのダンスミュージックにはなかった革命的な出来事が起こったのである。音楽作成の素人であり、その上音楽の知識もなく楽器の演奏もできないクラブ通いの少年たちが[[DIY]]でレコードを作り始めた。それは当時DJプレイでも使われていたドラムマシンの単調な反復のビートの上に、彼らの好きなレコードからベースラインやメロディを持ってきて組み合わせるという非常に稚拙な出来ではあったが、DJたちはこぞってそれらのレコードを採用した。こういったいわゆる「[[シカゴ・ハウス]]」や、そのサブジャンルであり偶然生まれた「[[アシッド・ハウス]]」によるムーブメントが当時の地元シカゴでは隆盛を極めていた。
1980年代、アメリカのシカゴでは[[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック]]([[シカゴ・ハウス]])と呼ばれる実験的なスタイルを持つダンス・ミュージックが隆盛を極め黒人少年と同時に黒人の[[ゲイ]]たちを熱狂させていた。[[ディスクジョッキー|DJ]]は[[ドラムマシン|ドラム・マシン]]を使い規則的に打ち鳴らされるディスコのキック・ドラムを強調し、その上2台の[[レコードプレーヤー|ターンテーブル]]を[[ミキサー (音響機器)|ミキサー]]でつないで操作、さらにはDJ自身が選択・作成したオープンリールのテープなども加え、それらすべては客をより長く激しく踊らせるという目的があった。そしてダンスのためになんでも取り入れる積極性により、地元の少年らが作る手作りのレコードも使用することになる。こうしてシカゴにおけるシカゴ・ハウス、[[アシッド・ハウス]]のシーンは生まれてきたのだった。
 
1980年代前半から中盤にかけ、シカゴに隣接する都市であり、同じく黒人音楽の伝統を持つデトロイトでもシカゴとデトロイトを行き来する人々によりこのシカゴ・ハウスが持ち込まれ、新しい音楽の運動が生まれてくる。この音楽成立に関わった主なアーティストとしては、同じ学校に通った音楽仲間でありDJ集団も組んでいた[[ホアン・アトキンス]]、[[デリック・メイ]]、[[ケビン・サンダーソン|ケヴィン・サンダーソン]]らの、いわゆる「ビルヴィレ・スリー」(三(3人の出会った場所が地元デトロイトのビルヴィレ地区であったため名づけられた)が挙げられる。
 
彼らの音楽はシカゴ・ハウスの影響を受けつつも、従来のハウス・ミュージックが持つ享楽性に対し厳しい現実を反映したシリアスな音楽を志向し、特に音楽雑誌の取材時などにはより政治的・思想的な側面打ち出していた。特に第1人者であるホアン・アトキンスはその時すでに[[エレクトロ]]のユニットの活動を通して一定の名声を得ており、テクノの上においてもエレクトロの根底に通じる電子的な音のギミックや[[ファンク]]のベースラインを、思想として黒人特有のSF・未来志向を強調していた。(アフロ・フューチャリズム)
 
=== 転機 ===
1988年、やがてこのデトロイトの新しい音楽に注目したイギリスのヴァージン・レコードの傘下から編集盤アルバムが発売される事となり、その広報の一環としてイギリスの雑誌「ザ・フェイス」内でデトロイトの特集記事が組まれた。取材の中でインタビュアーが「あなた方の音楽をどう呼んだらいいのか」と問い掛け、それに対しホアン・アトキンスが「おれたちはテクノと呼んでいる!」と答える。アルバムにはインタビューの内容と同期するタイトルがつけられ、「Techno! - The New Dance Sound Of Detroit」は発売された。このアルバムはヒットし、ここからシングル盤として分けられた「[[インナー・シティ (バンド)|インナー・シティ]]」の「Big Fun」はUKのダンスチャートのトップ10にランクインするし、全世界で600万枚の大ヒットを記録した。ここに現在一般に呼ばれる「テクノ」の名称が成立した。
 
=== 勃興期 ===
1988年~1989年にかけてイギリス北部で[[セカンド・サマー・オブ・ラブ|セカンド・サマー・オブ・ラヴ]]という名づけられた[[ドラッグ]]とアシッド・ハウスが結びついたムーヴメントが発生する。その際シカゴ産のアシッド・ハウスの流行とともにデトロイト産のテクノも渾然一体となりイギリスへと流れ込み、1988年のレイヴ初期から使われていた。このムーヴメントはイギリスからヨーロッパ全土へと徐々に拡大して行き、この激しいスタイルを持った[[4つ打ち]]の音楽はそれぞれの地において地元の文化と融合し(ハードコア、ジャーマントランス、[[ガバ]])、または[[トランス]]などの新たな音楽も生まれた。少しずれるがイギリスでは90年代に入ると大規模なレイヴの頻発とその要望により、主に大げさな音色と速めの[[ブレイクビーツ]]を使った[[レイブ (音楽)|レイヴ]]という音楽も生まれている。こうして90年代初期にはテクノはヨーロッパで刺激的な音を持つ先鋭的なダンスミュージックというイメージとともに定着していった。テクノはこの様な発展の経緯により、発祥の国アメリカではアンダーグラウンドな音楽のままにおかれ、むしろヨーロッパの国々に広く親しまれているといった状況にある。
 
== 語源 ==
テクノの第1人者であり名付け親でもあるホアン・アトキンスが、未来学者[[アルビン・トフラー|アルヴィン・トフラー]]による著書『第三の波』の文中より「Techno-rebels」(テクノレベルズ」(英:Techno-rebels)という造語に触発を受け、そこから自身の曲名などとして使っていたことに由来する。ちなみにテクノというジャンル名が定着する以前のごく初期には、単にハウス・ミュージック、または地名からデトロイトハウス・ミュージックなどと呼ばれていた。
 
トフラーの造語である「Techno-rebels」(テクノレベルズとは、日本語に訳するなら「技術に対する反逆者たち」となる。作中でトフラーは、産業革命以降の重厚長大型の大企業が世界を動かす仕組みを第二の波とし、それを超えていく新しい技術革新の流れを第三の波と規定した。その上で、次々と生まれる革新的かつ時に人類にとって危険ともなりうる新しい技術を野放しにせず、それに対しての管理を主張し使いこなす人々のことを「第三の波の代理人」にして「次の文明の先導者」と呼び、ある意味で逆説的にも聞こえる「技術に対する反逆者たち」(テクノ・レベルズ)と名づけた。
 
== テクノに関連した音楽ジャンル ==
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== 参考文献 ==
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* アルビン・トフラー 『第三の波』 日本放送出版協会、1980年。
* 野田 努 『ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ』 河出書房新社、2001年、ISBN 978-4-309-26494-3。
* ビル・ブルースター、フランク・ブロートン(著)、島田 陽子(翻訳) 『そして、みんなクレイジーになっていく―DJは世界のエンターテインメントを支配する神になった』 島田 陽子 訳、プロデュースセンター出版局、2003年、ISBN 978-4-938456-64-1。
* 美馬 亜貴子 『テクノ・ポップ (THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES)』 シンコーミュージック、2004年、ISBN 978-4-401-61851-4。
* ロラン・ガルニエ(著)、野田 努(著)、プラット・アレックス(翻訳) 『エレクトロ・ショック』 プラット・アレックス 訳、河出書房新社、2006年、ISBN 978-4-309-26911-5。
</div>
* ティム・ローレンス 『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』 ブルース・インターアクションズ、2008年、ISBN 978-4-86020-281-1。
 
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