「日本の蒸気機関車史」の版間の差分

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m 特定の号機だけを解説しているわけではないのでリンクは形式だけでよいのでは?
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[[画像:C11190SenzuStaJP22Feb05.jpg|240px|thumb|right|大井川鐵道C11形190号機「SL急行かわね路号」]]
 
こうして姿を消していった蒸気機関車だが、蒸気機関車を近代産業遺産として保存する動きも出てくるようになる。また、姿を消していく蒸気機関車を追うように[[1970年代]]前半に全国で[[SLブーム]]が起こり、[[函館本線]][[目名駅|目名]]~[[上目名駅|上目名]]間(現・廃止)や[[伯備線]]布原信号場(現・[[布原駅]])などに代表される撮影ポイントに多くのファンが押し寄せるようになり、まったく鉄道に興味のない人まで蒸気機関車を追いかけるようになったのである。そしてこうした動きを受け、ついに保存活動に動き出す。そのはしりとなったのが、[[1970年]]に大井川鉄道(現・[[大井川鐵道]])が[[千頭駅|千頭]]~[[川根両国駅|川根両国]]間で実施した、[[西濃鉄道]]から譲り受けた[[国鉄2100形蒸気機関車|2100形]]2109号機]]の動態保存運転である。その後[[国鉄10形蒸気機関車|クラウス15・17号]]や[[国鉄C12形蒸気機関車|C12形]]の動態保存運転も行った同社は、国鉄から蒸気機関車が消滅した1976年[[7月9日]]、ついに蒸気機関車の本線復活運転を開始した。これが、[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]227号機]]による「SL急行かわね路号」である。
この復活蒸機運転は大人気を博し、[[国鉄C10形蒸気機関車|C10形]]8号機]]も譲受して現在も実施されているほか、同じく文化遺産保護活動を行う[[日本ナショナルトラスト]]の所有のC12形164号機を「SL急行トラストトレイン号」として運転している。
 
一方、国鉄も[[1972年]]の鉄道100年を契機に蒸気機関車の恒久的な[[動態保存]]に乗り出し、同年10月に[[京都駅]]近くに[[梅小路蒸気機関車館]]を開館する。開館当初は16形式17両のうち15両に車籍があり、13両が有火状態であった。この保存機を用いて[[東海道本線]]など都市近郊での運転実施が計画され、開館直後から[[1974年]]までC62形やC61形を用いた「SL白鷺号」が京都駅~[[姫路駅]]間に行楽シーズンに運行されている。しかし、その後労使問題の深刻化などの理由から保存運転は中断され、その間に営業用の蒸気機関車が姿を消すこととなった。
 
財政悪化が深刻化していた国鉄は、営業用蒸気機関車の全廃という状況を受け、中断していた保存蒸機の運転再開を計画した。前回同様、運行線区として[[東海道本線]]など都市近郊での実施を予定していたが、[[1976年]][[9月4日]]に「京阪100年号」として[[京都駅]]~[[大阪駅]]間で蒸気機関車の運転を行った際、[[鉄道撮影]]を行うもののマナーの悪さが影響して、小学生が死亡するという事態になった(詳しくは[[京阪100年号事故]]を参照)こともあり断念、地方線区での恒久的実施に方針を切り替えた。これに関しては、[[北海道]]の[[湧網線]](現・廃止)なども運転路線の候補に上げられたが、[[新幹線]]に接続し、観光地も多い[[山口線]]に白羽の矢が立った。そして[[1979年]][[8月1日]]、国鉄復活蒸機第1号となる[[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]]1号機]]による「SLやまぐち号」が運転開始した。
 
その後蒸機復活運転計画は国鉄再建の影響もあってか進行せず、結局国鉄時代はこのSLやまぐち号が唯一のものとなってしまったが、[[1987年]]の[[国鉄分割民営化]]によって一気に加速する。さらに民鉄でも蒸機復活運転が次々と行われるようになった。そして国鉄線上から蒸気機関車が消滅してから30年以上が経過した現在、各地で蒸機復活運転が行われている。