「ナイルの戦い (紀元前47年)」の版間の差分

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カエサルが[[リクトル]](警護兵)を引き連れてエジプト王宮に入ったことを[[アレクサンドリア]]住民(当時の住民数は50万から100万のあいだ)は'''「王のような振舞い」'''と捉え、反ローマ感情を露わにした。これに乗じてプトレマイオス派はペルシオンに駐留させていた兵22000(歩兵20000、騎兵2000)をアレクサンドリアへ進軍させた。これに対して、兵力や軍船(カエサル軍10隻、プトレマイオス派72隻)で圧倒的に劣っており、カエサルはローマに増援部隊の派遣を要請していた。防御の点で優れていた[[ファロス島の大灯台]]を占拠して拠点の一つとした。
 
プトレマイオス派は、兵力がまさっており、地元の利を生かして優位に立っていたが、プトレマイオス1313世とアルシノエの主導権争いにより、攻勢を掛けるには至らなかった。カエサルの要請によって到来したミトリダテス([[:en:Mithridates I of the Bosporus|en]]、かつてローマと敵対した[[ミトリダテス6世]]の庶子)指揮下の増援軍は、小アジアから陸路でエジプトに向かい、まず[[ペルシオン]]を占領し、[[紀元前47年]]1月[[ナイル川]]のデルタ地帯の[[メンフィス]]へ進軍、そのあとアレクサンドリアへ向って北上し、カエサル軍と合流した。カエサルとプトレマイオスの両軍は紀元前47年2月にナイル川下流のデルタ地帯で激突した。
 
カエサル軍は伝統的なローマの戦法である[[ピルム]](ローマ式投槍)の投擲によってプトレマイオス軍を攻撃、戦術・兵器・経験すべての面で勝ったローマ軍は、瞬く間にプトレマイオス軍を撃破、エジプト兵は散り散りに戦場から逃れた。一部の兵は船に乗り込んだが、乗員数過重もあって船が転覆して多数の兵が溺死した。国王プトレマイオス13世は逃亡に成功したが、ナイル川に身を投じて自殺した。ローマ軍の捕虜となっていた[[アルシノエ4世]]を除き、プトレマイオス派の指導者はこの時までに全員が死亡した。
 
=== 結果・調停 ===
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[[Category:紀元前の戦闘]]
[[Category:古代共和政ローマの戦闘]]
[[Category:古代オリエントの戦闘]]
[[Category:プトレマイオス朝]]