「「真の近現代史観」懸賞論文」の版間の差分

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== 第一回最優秀藤誠志賞 ==
第一回最優秀藤誠志賞の受賞作は、2008年[[10月31日]]に[[航空自衛隊]]航空幕僚長[[田母神俊雄]]空将の「'''日本は侵略国家であったのか'''」に決定した。ただし選考に出席した山本秘書によれば、田母神の論文に対して内容が過激だとして山本は最低点を付けたが、他の委員が最高点をつけたため選考されたという<ref>週刊新潮 前掲号{{要出典}}</ref>。
 
なお後述のように論文の構成の稚拙さや、田母神が主催者と懇意にしている事が明らかになったことから、田母神を最優秀賞にするための工作があったのではないかと疑われている。これに対し委員の花岡信昭は、アパ側で応募作を25点に絞った上で名前を伏せて審査したが、秘書も含め満場一致で決定したのだから問題ない、と主張している<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/194701/ 【政論探求】「田母神論文」秘書のうかつな発言 審査の真実] 2008年11月12日閲覧</ref>。
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*日本は19世紀の後半以降、[[朝鮮半島]]や[[中国大陸]]に軍を進めることになるが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
*『[[マオ 誰も知らなかった毛沢東|マオ]](誰も知らなかった毛沢東)』([[ユン・チアン]]、[[講談社]])や『[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]の[[大東亜戦争]]肯定論』( [[ワック・マガジンズ|ワック出版]])<ref>正式には「ワック・マガジンズ」だが、 田母神の記述に従う</ref>」、『日本よ、「歴史力」を磨け』([[櫻井よしこ]]編、[[文藝春秋]])」によれば、[[1928年]]の[[張作霖爆殺事件]]は[[関東軍]]の仕業ではなく、[[コミンテルン]]の仕業である。([[陰謀論#日中戦争・太平洋戦争突入はコミンテルンによる陰謀説|コミンテルン陰謀論]])
*[[東京裁判]]の最中に[[中国共産党]]の[[劉少奇]]が西側の記者との記者会見で「[[盧溝橋事件|廬溝橋]]の仕掛け人は[[中国共産党]]で、現地指揮官はこの俺だった」と証言<ref>田母神論文によれば情報の出典は『[[岩間弘]]著「大東亜解放戦争」[[岩間書店]]刊』としている。ただし秦{{誰}}の週刊新潮2008年11月13日号の記事によれば、この情報は東京裁判において日本軍将校の伝聞情報に由来するとしている。なお、葛西純一が中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見たという証言をしているが、いずれにしても秦は虚偽としている</ref>した。
*したがって、我が国は[[蒋介石]]により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
*我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な[[植民地]]統治をした。