「ルサ3世」の版間の差分

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ルサ3世をはじめとするウラルトゥ王国末期については、史料の発見がきわめて限られており、なおも不明な点が多い。このことはウラルトゥをめぐる国際環境の変化が影響していると思われる。ウラルトゥの長年の宿敵であり、紀元前7世紀以降は属国として協力するようになった[[アッシリア]]帝国は、紀元前609年に[[新バビロニア]]と[[メディア王国]]の連合軍によって滅ぼされた。新バビロニア王[[ナボポラッサル]]は紀元前609年から607年にかけてウラルトゥを攻撃しており<ref>Rollinger 2004, p. 5-6.</ref>、ウラルトゥは[[スキタイ]]に加えこの二つの新興国への対処を迫られた。
 
[[画像:~DSC01220egUrartian_language_stone,_Erebuni_museum_6a.jpg|thumb|250px|エレブニ出土のルサ3世の碑文([[アルメニア]]共和国・エレバンのエレブニ博物館蔵)]]
ルサ3世については、その事績を記した碑文数点が発見されており、実在が確認できる。父の名はエリメナである。碑文の内容は、トゥシュパ(現在の[[ヴァン]])、エレブニ(現在の[[エレバン]])、テイシュバニ(カルミル・ブルール遺跡)などの諸都市に穀物倉庫を作ったというものである。外交的には、おそらくメディア王国の属国となっていたものと思われる。息子の[[ルサ4世]]が跡を継いだ。