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{{転載疑い}}<!--[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/Ajcxx]]関係-->'''ブルー・デモン'''('''Blue Demon'''、[[1922年]][[4月24日]] - [[2000年]][[12月16日]])は、[[メキシコ]]の[[プロレスラー]]、[[俳優]]。本名'''アレハンドロ・ムニョス・モレノ'''('''Alejandro Munoz Moreno''')。ライバルである[[エル・サント]] とは幾度にもわたって伝説的な試合を繰り広げ、サント同様多数の映画に出演した。
 
== プロフィール ==
1922年、アレハンドロ・ムニョス・モレノは[[ヌエボ・レオン州]]において、農家の十二人兄弟の五番目として生まれた。[[モントレー]]で長らく鉄道関係の仕事に就いていたが、たまたま出合った[[ローランド・ベラ]]の影響で[[ルチャリブレ]]に興味を持つようになる。ベラはムニョスにルチャの技術を授ける一方で、のちに彼のトレードマークとなる青いマスク(ただし当初は無地)と「ブルーデモン」のリングネームの産みの親ともなった。
アレハンドロ・ムニョスは[[1948年]][[3月31日]][[アメリカ合衆国|アメリカ]][[テキサス州]][[ラレド]]でデビューしたそして同年6月、青地銀の線を入れたマスクを身につけ、ブルー・デモンの名でとして登場する。その後[[EMLL]]の代表[[サルバドーレ・ゴンザレス]]にスカウトされ8月に[[アレナ・メヒコ]]に登場。[[ブラック・シャドー]]の弟称してコンビロス・エルマーノス・シャドーを結成、当初は[[ルード]]として戦っていた。その後[[テクニコ]]に転向
終生のライバル、[[エル・サント]]との接触はこのタッグ活動に起因する。1952年アレナ・メヒコにて行われたマスカラ・コントラ・マスカラ(双方のマスクをかける試合)形式の試合で、サントは[[ブラック・シャドー]]を破る。その後サントと対戦したブルー・デモンはこれに勝利し、敵討ちを果たすと同時に1953年にはNWAウェルター級王座を獲得する。ここにルチャリブレ史上最大のライバル関係が始まると同時に、サントと双璧をなすカリスマ的ルチャドールが誕生することとなった。
 
その後[[テクニコ]]に転向。
 
1988年にモントレー・アリーナで引退。2000年に心筋梗塞で死去。