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'''ジュール・デュピュイ'''('''Jules Dupuit''', [[1804年]][[5月18日]] - [[1866年]][[9月5日]]は、[[フランス]]の[[土木技師]]、[[経済学者]]。
 
デュピュイは[[ナポレオン・ボナパルト]]の治世下におけるイタリアのフォッサーノで生まれた。10歳のとき家族と共にフランスへ移住して[[ヴェルサイユ]]で学び、卒業時には物理学賞を受賞した。彼はそれから[[国立土木学校]]で[[土木技師]]として学び、フランスの大規模公共事業を担う土木公団で活躍をはじめた。彼は次第に、様々な地方のポストで、より多くの責任を引き受けるようになった。1843年に、彼はフランスの道路体系についての仕事により、[[レジオンドヌール勲章]]を受け、程なくパリへ移住した。彼はまた、1948年に洪水管理を研究し、パリの下水道体系の構築を監督した。彼は1866年にパリで死去した。
 
フランスの国立工科学校(現在のENPC)と土木公団には、独自の[[経済学]]の伝統がある。公共事業に多額の税金が使われることは当時のフランスにおいても大きな問題で、この批判に応えるために、国立土木学校や土木公団で活躍した[[土木技術者]]は[[経済学]]についても造詣を深めていた。しかも、それは当時のフランスの主流派の経済学とは全く異なる性格を持っていたのである。