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'''ネコ2世'''(Necho II)は[[エジプト第26王朝]]の[[ファラオ]](在位: [[紀元前610年]] - [[紀元前595年|前595年]])。'''ネコ'''というのは[[古代ギリシャ]]読みで、正確には'''ネカウ'''(Nekau)と言う。別の読みに'''ネクタネボ'''。[[プサムテク1世]]の子。<!--最後のエジプト人ファラオである。(息子のプサムテク2世が跡を継いでおり、記述の正確さに疑問)-->
 
[[紀元前609年]]、滅亡寸前の[[アッシリア]]の残存政権を支援する遠征の途上、ようやくアッシリアの影響を排除して[[ユダ王国]]の独立に成功していた[[ヨシヤ]]王を[[メギド]]で敗死させ、ユダをエジプトの貢納国とすることに成功し、[[エジプト]]の[[シリア]]・[[パレスティナ]]地方への覇権を回復した。しかし、[[紀元前605年]]、アッシリアを滅ぼして[[メソポタミア]]に覇権を唱えた新興の[[新バビロニア]]の初代王、[[ナボポラッサル]]に差し向けられた王子、ネブカドネザル(後に即位して[[ネブカドネザル2世]])の軍に[[カルケミシュの戦い]]で敗退し、シリア・パレスティナ地方の覇権を奪われた。ただしこの戦の前後にナボポラッサルが没したため、ネブカドネザルの軍は帰国し、エジプト本国の蹂躙は免れた。
 
アジア地区のエジプト旧領を、ネブカドネザルが「ユーフラテスからエジプトの小川に到るまで」([[エレミヤ書]]64:2、[[列王記]]2 23:29)回復したため、アジアへの軍事的覇権伸張政策を放棄することを余儀なくされた。[[紀元前601年]]、アシュカロンでバビロニアに対する叛乱が起こったとき、エジプトに支援の申し入れがあったが、エジプトは援軍を送らず、バビロニアに対して東の国境を防御するにとどまった。