「端唄」の版間の差分
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以上のような経過から、従前の端唄は上記のどれかに吸収されており、独自の端唄とするに足りる曲は非常に少ない。様々な文献やサイトで端唄とされるものがうた沢とされていたり小唄とされているのはこのような事情による。
端唄が流行したのは特に[[天保の改革]]以後であるとされる。これは改革時に[[三味線]]が贅沢なものと見なされ、庶民が三味線を弾く事を幕府から禁止されてしまった。[[歌舞伎]]伴奏などのプロの[[長唄]]奏者は営業が続けられたが、街角の稽古場で三味線を教えるようないわゆる「街のお師匠さん」(今で言う個人宅の音楽教室)は禁止されてしまったのである。何年か(10年と言われる)この状態が続いた後ようやく解禁された。そこで庶民らは再び三味線を手にすることが出来るようになったが、長く楽器を触っていなかった者にとっては長唄のような長いレパートリーをすぐにさらい直す事は素人には難しい。そこで覚えたての小曲をすぐに弾くことが出来るという理由で、端唄がもてはやされるようになったのである。
== 音楽的特徴 ==
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