「TBU (航空機)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Point136 (会話 | 投稿記録)
1行目:
'''TBU'''シーウルフは[[第二次世界大戦]]の後期にヴォート社が開発した艦上攻撃機である。試作機はグラマン社が開発した[[TBF]]と競作になったが、TBFを大きく凌ぐ性能を示した。しかし、エンジンが当時の主力戦闘機[[F6F F6F_(戦闘航空機)|F6F]]や[[F4U F4U_(戦闘航空機)|F4U]]と同じ物を搭載したため十分に供給を受けることができず生産が遅れ、量産機が引き渡されたのは1944年11月になってしまった。このため、合計180機の生産機は実戦に参加することなく終わり、終戦後は陸上基地において雑用機として利用された。
 
なお、量産発注時にはヴォート社では[[F4U F4U_(戦闘航空機)|F4U]]生産で工場に余裕がなかったため、生産はコンソリデーテッド社に移管された。そのため、名称は'''TBY'''に改められている。
 
== 概要 ==
8行目:
XTBU-1は、胴体中央部に爆弾倉を持つ中翼の単葉機で、機体の規模はライバルであるXTBF-1とほぼ同じであったが、エンジン直径に胴体を合わせる形をとったため、ややスマートな外観となった。この機体により強力な2000hpのP&WR-2800-6を搭載したため、速度、上昇性能等多くの面でXTBF-1を上回る性能を示した。主脚は後方に引き込む方式を採用した。
しかし、性能面ではXTBF-1を上回っていたのにもかかわらず、XTBU-1が発注を受けたのは[[1943年]]9月になってからだった。しかも、この時ヴォート社は[[F4U F4U_(戦闘航空機)|F4U]]の生産で手一杯だったことから、生産はコンソリデーテッド社に移管され、名称も'''TBY-2'''となった。この時には、ライバルのTBFは大量生産され続々と実戦配備されており、本機の活躍の場が制限されるのは明白な状態であった。
 
XTBUの発注が遅れた最大の理由は、搭載したR-2800エンジンが当時の主力戦闘機として大量生産を実施していた[[F6F F6F_(戦闘航空機)|F6F]]や[[F4U F4U_(戦闘航空機)|F4U]]と同じだったため、本機のような攻撃機にまでエンジンを供給する余裕がなかったためである。また、TBFは主翼の折りたたみ方式を工夫して小型護衛空母搭載に気を使うなど実用面で優れており、生産も順調だったことから、海軍ではこれ以上新機種を採用することに消極的だったことも、発注遅延の要因だった。
 
TBY-2としては1100機の発注を受けたが、コンソリデーテッド社での生産ははかどらず、生産第1号機が海軍に引き渡されたのは[[1944年]]11月になってしまった。その後[[1945年]]9月までに180機が完成したが、[[太平洋戦争]]終結により残りの生産はキャンセルとなった。部隊配備は1945年の4月から開始されたが、対日戦には参加することなく終わった。終戦後は、陸上基地において雑用機として用いられた。