「海と毒薬」の版間の差分

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『'''海と毒薬'''』(うみとどくやく)は、[[遠藤周作]]の[[小説]]。[[1958年]]発表。
 
本土[[空襲]]によって[[捕虜]]になった[[B-29 29_(爆撃航空機)|B-29]]の搭乗員を、[[九州大学|九州帝国大学]][[医学部]]において、軍事医学上の実験解剖の試料として使用した事件([[九州大学生体解剖事件]])を、小説化したもの。『神なき日本人の罪意識を問う』 と遠藤は主張している。第5回[[新潮社文学賞]]、第12回[[毎日出版文化賞]]受賞作。[[熊井啓]]監督で[[海と毒薬 (映画)|映画化]]。
 
遠藤が九大医学部の建物に見舞い客を装って潜り込んだ際、屋上で手すりにもたれて雨にけぶる町と海とを見つめ、「海と毒薬」という題がうかんだという。[[評論家]]の[[山本健吉]]は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」としている。
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引っ越した家の近くにある医院へ、持病を治療しに通う男。男はやがて、その医院の医師・勝呂が、かつての解剖実験事件に参加していた人物である事を知る。
 
[[九州帝国大学]]医学部の[[研究生]]である勝呂。彼は、助かる見込みのない患者である「おばはん」が実験材料として使われようとする事に憤りを感じるが、教授たちに反対する事が出来なかった。当時、橋本教授と権藤教授は医学部長を争っていたが、橋本は前部長の姪である田部夫人の手術に失敗し、死亡させてしまう。名誉挽回するために、[[B-29 29_(爆撃航空機)|B-29]]の搭乗員の[[生体解剖]]を行い、勝呂と戸田も参加する事になる。
 
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