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'''赤尾 清綱'''(あかお きよつな、[[永正]]11年([[1514年]]) - [[天正]]元年([[1573年]]))は[[浅井氏]]の家臣。[[赤尾清冬]]の子。通称、美作守。子に[[赤尾伊豆守清冬]](虎千代)、菊姫。
 
赤尾氏は近江の土豪の一家で、元々は[[京極氏]]の傘下であったが、後に海北氏や[[雨森氏]]と並ぶ「浅井三将」に数えられた。清綱は近江浅井家初代[[浅井亮政]]の頃から浅井家に仕え浅井家と興亡をともにした人物。当主からの信頼がとりわけ厚く、[[小谷城]]内の防衛の要所に赤尾曲輪と呼ばれる居館をもち、そこに在番していた。通常、家臣は城下に武家屋敷を持ちそこを居館とするものだが城内に居館を持つことを許されていたことから相当信頼のおける人物であったことが窺われる。