「パトリック・ヘッド」の版間の差分

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== 遺産と引退、そして現場復帰 ==
[[ニール・オートレイ]]、[[ロス・ブラウン]]、[[フランク・ダーニー]]、[[エグバル・ハミディ]]、[[ジェフ・ウィリス]]、[[エンリケ・スカラブローニ]]といった多くのトップエンジニアたちは、キャリアの初期においてヘッドの監督下で働き、他のチームで上級職に就いた。特にロス・ブラウンはフェラーリにおいてヘッドと同等の地位に就くという成功を遂げた。ヘッドとエンジニアたちとの連係でおそらく最も実り多い時期は、直前に[[マーチ (F1)#レイトンハウスとのジョイント|レイトンハウス]]を解雇された[[エイドリアン・ニューウェイ]]を引き抜いた[[1990年]]に始まると言えるであろう。2人はすぐに1990年代における類まれなデザイン面での連係を実現し、かつてないレベルでF1を席巻するマシンを作り上げた。このような成功は、10年の後にフェラーリと[[ミハエル・シューマッハ]]の連係によって再び繰り返されることとなる。[[1991年]]から[[1997年]]までの7年間で、ウィリアムズはドライバーズ/コンストラクターズタイトルをそれぞれ4回ずつ獲得し、59勝を挙げた。
 
[[1998年]]にニューウェイが去ってから、ウィリアムズはしばしば力を使い果たしたように見え、シーズンに1、2勝程度しかできないことが続いた。ついに2004年、ヘッドがテクニカル・ディレクターを辞職し、33歳のサム・マイケルが後任となることが発表された。ヘッドのエンジニアリング・ディレクターへの異動は事実上の降格であり、また彼がもはやかつての栄光をチームにもたらすだけの力を持たないことをサー・フランク・ウィリアムズがついに認めたという意味であると広く受け止められた。