「福田康夫内閣 (改造)」の版間の差分

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*外務副大臣に就任していた[[山本一太]]が、[[自民党総裁選]]に出馬の意向を示し、副大臣辞任を申し出た。[[9月5日]]の閣議で了承された。<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0905/TKY200809050269.html 山本外務副大臣が辞任、後任は置かず]</ref>
*2008年[[9月24日]]、臨時閣議に於いて内閣総辞職を決定した。これにより福田康夫内閣は幕を下ろした。
 
 
 
=== 公明党の閣僚派遣問題と福田おろし ===
福田康夫改造内閣の際、当初福田首相は連立政権を組む[[公明党]]に大臣ポストを2つ提示(うち一つは女性議員を氏名)したとされている。情報が内閣改造前にマスコミの知るところとなり内閣改造前にはワイドショー等で公明党所属の[[松あきら]]氏や[[池坊靖子]]が大臣に就任するのではと言われていた。しかし公明党では参議院選挙での敗北や相次ぐ不祥事による福田内閣の支持率低下が次回総選挙に影響するのを考慮し一部公明党議員や支持母体[[創価学会]]幹部から[[伊吹文明]]氏の党四役就任に難色を示し伊吹文明氏が就任するなら[[閣外協力]]でよいのではとの意見が出たほどである。実際福田康夫改造内閣へは[[斉藤鉄夫]]議員を大臣ポストへ派遣した。特に伊吹文明氏の問題等に端を発しマスコミから公明党の[[福田おろし]]と叩かれるようになる。実際福田首相が辞任した際、連立を組む公明党の[[太田昭宏]]代表へは事前の連絡なく辞意を表明(小泉氏、安倍氏の時は事前連絡があったとされている)しており一部反学会、反公明勢力からは当初福田総理の辞任会見は公明党に対するあてつけではなかったかという意見がある
 
== 脚注 ==