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==歴史==
日本の首都が[[平安京]]に移る前から[[賀茂氏]]一族が住んでいた地域であり、賀茂氏の氏神であった[[賀茂別雷神社]](上賀茂神社)と[[賀茂御祖神社]](下鴨神社)のうち、下鴨神社の周辺を指して'''下鴨'''と呼ばれるようになった。中世には'''下賀茂'''とも呼ばれていた。上賀茂・下鴨神社の社領であったため近代に入るまで仏教寺院が建てられたことはなく、のどかな農村地帯であった。
 
江戸時代以降は[[愛宕郡]]蓼倉郷[[下鴨村]]に属していたが、1918年(大正7年)に京都市[[上京区]]に編入された。後に上京区が分割されたため左京区に属することになった。1934年(昭和9年)には[[北大路通]]が整備されるとともに[[京都市電北大路線]]が高野まで開通して交通の便が良くなり、を契機として住宅街としての開発が進んだ。また、大正から昭和初期にかけて[[京都府立植物園]]、[[京都府立大学]]、[[京都府立洛北中学校・高等学校|洛北高校]]、[[京都府立総合資料館]]、[[松竹京都撮影所]](後に[[太秦]]へ移転)などが建てられ文教地区ともなっている
 
==街並み==
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==参考文献==
*角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典26 京都府 上巻』 角川書店、1982年<!--より良い出典があれば遠慮なく置き換えてください-->
*竹村俊則 『昭和京都名所圖會 5 洛中』 駸々堂出版、1984年、ISBN 4-397-50131-9
 
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