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'''呉班'''(ごはん、[[171年]]-[[234年]])は、[[蜀]]の[[武将]]。[[字]]は'''元雄'''。大将軍・[[何進]]に仕えた[[呉匡]]の子で、同じく蜀に仕えていた[[呉懿]]の族弟に当たる。
 
[[劉備]]のもとでは領軍を務めた。劉備が[[関羽]]の仇討ちのために[[呉 (三国)|呉]]に侵攻を開始したとき、それに従軍している。
 
[[劉禅]]のときは仮節に任じられた。[[諸葛亮]]が[[北伐#蜀の北伐|北伐]]を開始したとき、これに従軍して[[魏 (三国)|魏]]の武将・[[李異]]や[[司馬懿]]の軍を破るなど、大いに活躍した。[[李厳]]が兵糧補給を怠ったとき、その責任調査に当たり、後将軍・安楽亭侯に任じられている。
 
234年、諸葛亮の最後の北伐のとき、魏の武将・[[張虎]]と戦い、敗れて戦死した。
 
[[Category:三国志の登場人物|こはん]]