「津田昭 (競馬)」の版間の差分

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* [[1959年]]に騎手免許を取得。[[野平省三]][[厩舎]]に所属。
* 1959年[[9月26日]]に[[タマミノル]]騎乗にてデビュー。
* 初勝利は1959年[[10月18日]]の[[タマノボル]]
* 若手時代は[[障害競走]]戦を中心にレースに騎乗していた。
* 初重賞勝利は[[1960年]][[11月6日]]の第10回[[東京障害特別]](秋)の[[オーロラ]]であった。
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* そのスピードシンボリの初重賞制覇となった第6回[[京成杯]]([[1966年]][[3月20日]])に騎乗している。
* [[1969年]]に野平省三厩舎から[[野平富久]]厩舎へ移籍した。これを機として障害免許を返上し、平地に専念するようになる。
* 彼が騎手として知られているのは[[コンチネンタル (競走馬)|コンチネンタル]]とのコンビで、[[1970年]]~[[1971年]]にかけて重賞4勝を挙げている。
* また、[[1973年]]第40回[[東京優駿]]で[[イチフジイサミ]]に騎乗し、[[タケホープ]]の2着に入る健闘を見せた。
* 騎手晩年は騎乗機会が減り、[[1982年]]第2回[[新潟競馬場|新潟競馬]]2日目の新馬戦で[[ハクバキッド]]に騎乗したのを最後に、現役を引退した。
* 騎手現役引退後は調教助手に転身、[[西塚安夫]]厩舎のスタッフとして[[1995年]][[エプソムカップ]]優勝の[[カネツクロス]]などを担当した。[[2004年]]度の[[優秀調教助手賞]]を受賞するなどしている。
* [[2005年]]に調教助手を引退すると共に、競馬サークルから離れ、競馬予想会社の予想スタッフに転向している。
 
== 騎手時代の戦績 ==
*平地:3,646戦340勝(重賞:9勝)
*障害:435戦86勝(重賞:3勝)
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*[[スピードシンボリ]](1966年 [[京成杯]])
*[[フジイサミ]](1966年 [[中山記念]])
*[[コンチネンタル (競走馬)|コンチネンタル]](1970年 [[目黒記念]]、[[ステイヤーズステークス]]/1971年 [[日本経済新春杯]]、[[京都記念]])
*[[ファイブワン]](1975年 [[関屋記念]])