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'''大教院'''(だいきょういん)は、日本の[[明治時代]]初年に設置された、国民に対して尊皇愛国思想教化(大教宣布)をするための機関である。
 
明治5年([[1872年]])3月、[[神祇省]]が廃され、[[教部省]]が設けられた。
 
4月、三条の教則(三條教憲という)が発布され(第1条 敬神愛国、教導職14級体すべきこと、第2条 天理人道を明にすべき事、第3条 皇上を奉戴し朝旨を遵守せしむべき事)設けて、神官を教導職に補し、日本各地で三条の教則の布を元に説教をおこなわせ、やがて僧侶をも教導職に合同させた。
 
5月、仏教各宗は連合で政府に建白、許可を得て、9月、東京[[紀尾井坂]]の紀州邸を「'''大教院'''」にあてた。
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しかし、もともと性質のことなる両者の提携であるから常に互いに反撃しあい、神道側のなかでも軋轢を生じ、事態の紛糾をまねき、また外部からも教部省と大教院の方針に対する非難もあり、ついに明治8年([[1875年]])4月、神仏合同布教禁止の令が発せられ、5月、大教院は解散、閉鎖された。
 
その後も組織は残り、神道諸団体の育成を担う[[神道事務局]]として活動を行った。
== 備考 ==
<b>三條教憲</b>
:第一條
::一、敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事
:第二條
::一、天理人道ヲ明ニスヘキ事
:第三條
::一、皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事
 
== 参考文献 ==