「劇団中芸」の版間の差分

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'''劇団中芸'''(げきだんちゅうげい、劇団中央芸術劇場)は [[薄田研二]]主催、[[野々村潔]]([[岩下志摩]]の父)を書記長として、[[南品川]]の薄田研二の家を事務局兼稽古場にしていた[[劇団]]である。
 
1954年の[[洞爺丸事故]]で多く6名の団員を失い、新たに団員を募集する。その後入団した者には、[[山田吾一]]、広田信夫([[左右田一平]])、[[陶隆]]、[[松山照夫]]、[[金井大]]、[[五月晴子]]等がいる。その後、[[雷門 (台東区)|浅草田原町]]に移転。主な上演作品は「人形の家」「真実は壁を通して」「こわれ甕」「[[富島松五郎伝]]」「国定忠治」等。1959年、[[村山知義]]の新協劇団と合併し[[東京芸術座]]となる。
 
==外部リンク==
*[http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakujoho/text_results.php?Max=30&gekidanmei=%B7%E0%C3%C4%C3%E6%B7%DD 早稲田大学演劇博物館 デジタル・アーカイブ・コレクション 現代演劇上演記録]
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