「ストーンズリバーの戦い」の版間の差分

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龍伯 (会話 | 投稿記録)
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北軍側では、[[エイブラハム・リンカーン]]大統領がビューエルの受動性に不満を募らせ、最近[[イウカの戦い]]と[[第二次コリンスの戦い]]で勝利を上げた[[ウィリアム・ローズクランズ]]少将に指揮官をすげ替えた。ローズクランズはその第14軍団(間もなくカンバーランド軍と改称された)を[[ナッシュビル]]に動かし、[[ワシントンD.C.|ワシントン]]からは、もし彼がブラッグに対して攻撃的に動かずテネシー州東部を占領しなければ、彼もまた解任されると警告を受けた。しかし、ローズクランズはその軍隊を再編し訓練(特に騎兵)するために十分な時間を取り、さらに補給もした。[[12月26日]]になってやっとブラッグ軍追求のための行軍を始めた。
 
ローズクランズがナッシュビルで準備を進める間、ブラッグはジョン・ハント・モーガン大佐にその騎兵隊と共に北に移動し、ローズクランズの通信線で活動し、ローズクランズがナッシュビルの北から食料調達するのを妨げるよう命令した。(マーフリーズバラの北にある)ナッシュビルからカンバーランド川上流約40マイル (64 km)にある交差渡渉点で起こった[[ハーツビルの戦い]]は、ローズクランズがその歩兵軍に大挙して行動を起こさせる前に、北方のモーガン隊による襲撃中の出来事だった。モーガン隊の急襲に続く比較的小さな戦闘は、北軍にとって厄介な敗北となり、北軍は多くの物資や兵士を捕獲された。北軍もまた戦略的な騎兵襲撃を行わせた。ローズクランズ軍がナッシュビルを発った[[12月26日]]、サミュエル・P・カーター准将の小さな部隊がケンタッキー州マンチェスターからテネシー渓谷上流を襲った。翌年[[1月5日]]までカーター隊は鉄道橋を破壊し、[[12月28日]]のパーキンスミル(エルクフォートとも呼ばれる)での重大な戦闘を含め幾つかの小競り合いを演じた。しかし、北軍にしても南軍にしても、騎兵隊の襲撃でストーンズリバー方面作戦に大きな影響を与えることは無かった。
 
カンバーランド軍はクリスマスの翌日に3隊、あるいは3「翼」で南東のマーフリーズバラに向けて進発したが、途中で南軍ウィーラーの騎兵隊に効果的な嫌がらせを受け、その速度が遅くなった。ローズクランズはナッシュビルで有効兵力を総勢81,729名と報告していたが、南軍騎兵隊の嫌がらせからその基地や供給線を守る必要性があったので、進発した軍は総勢の半分をやっと超えたくらいだった。[[トマス・L・クリッテンデン]]少将の左翼14,500名は、ナッシュビル・アンド・チャタヌーガ鉄道に並行する道を採り、ラ・ヴェルニュとスミルナの南を通過した。中央翼は[[アレクサンダー・マクック]]少将の16,000名であり、ノーレンズビル・ターンパイクに沿って南にノーレンズビルまで降り、トライユーヌの南に出て東のマーフリーズバラに向かった。右翼の[[ジョージ・ヘンリー・トーマス]]少将の13,500名はナッシュビル・アンド・ディケーター道路に並行するウィルソン・ターンパイクとフランクリン・ターンパイクに沿って進み、続いて東にノーレンズビルを抜け、クリッテンデン翼が通ったのと同じナッシュビル・アンド・チャタヌーガ鉄道の南を進んだ。翼を分けたのはトライユーヌのハーディ隊に対して転回運動を起こすことを意図したものだったが、北軍が動き始めた時にブラッグは対決を避けるためにハーディ隊をマーフリーズバラに戻らせた。