「ランサナ・コンテ」の版間の差分

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竹麦魚 (会話 | 投稿記録)
死去
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ギニアが[[フランス]]統治下にあった[[1955年]]、[[フランス軍]]入隊。のち'''[[アルジェリア]]独立戦争'''に従軍し、その後はギニア西部[[ボケ地区]]軍司令官に就任し、[[大佐]]に任命された。長期独裁政権を敷いた初代大統領[[セク・トゥーレ]]が死去し、国家の最高指導者としての[[カリスマ]]が[[国家]]から失われ動揺が広がっていた[[1984年]][[4月3日]]、コンテは無血[[クーデター]]により権力を掌握、大統領に就任した。
 
大統領就任後、幾度と無く反コンテ・クーデターを切り抜け、事実上の独裁与党[[統一党]]を率い独裁政権を維持。[[1993年]]、ギニア初の複数政党制による大統領選で当選(得票率51.7%)し、その後も再選を続けた。健康問題の浮上や、新たなる反政府運動などがささやかれ、一時期は死亡説さえ流れたが、自ら否定した。
 
長期政権への批判を内外から受ける中、[[1998年]]、[[2003年]]に行われた大統領選には、いずれも当選。しかし、選挙結果や、政治手法については引き続き多くの議論が交わされている。