「ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
SieBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: it:Goffredo di Villehardouin
編集の要約なし
3行目:
'''ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン'''(Geoffroi de Villehardouin, [[1150年]]頃 - [[1218年]]頃)は、[[フランス]]の[[政治家]]・[[歴史家]]。
 
フランス東部の[[シャンパーニュ]]の中流貴族の家柄に生まれ、[[シャンパーニュ伯]]アンリ(自由伯)にマレシャル(家老職)として仕える。[[1190年]]にはアンリ自由伯の長男に従って、中東でアクレ攻囲戦の指揮を執っている。その忠節・政治感覚・武勇により、彼の個人的名声や権威は、家老職以上のものがあったといわれる。[[1201年]]、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]に使節として赴き[[第4回十字軍]]への援助を求め、自らも従軍し、[[コンスタンティノープル]]陥落に関わっている。彼の記録『コンスタンチノープル征服記』は、[[フランス語]]の記録としては最古のものの一つで、13世紀の散文の大作『[[ランスロット]]』や『[[トリスタンとイゾルデ|トリスタン]]』にその手法を伝え、[[年代記]]としての価値も高い。ただ、[[十字軍]]が[[エルサレム|イェルサレム]]に向かわずコンスタンティノープルを占領し、[[ラテン帝国]]を建てたことを擁護し、[[ギリシャ人|ギリシア人]]を非難する立場から書かれたものであるこり、歴史書して、考慮に入れなければならない注意が必要である
 
== 参考文献(著作) ==