「ジョー・マンテーニャ」の版間の差分

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[[1947年]]にイタリア系の家系に生まれたマンテーニャは、[[アル・カポネ]]で知られる[[イリノイ州]]の[[シセロ]]で生まれる。短大を卒業した後に、俳優を目指して多くの俳優を輩出している演劇学校のGoodman School of Drama (他の出身者には[[リンダ・ハント]]や[[ジョン・C・ライリー]]などがいる) に2年間在籍。本人曰く、生まれ育った[[シセロ]]からは演技をする上で非常に多くのインスピレーションを得たと語っている。
 
演劇学校を卒業した[[1969年]]と同じ年、ミュージカル「ヘアー」のシカゴ公演で俳優デビュー。後の[[1977年]]には映画デビュー、[[1978年]]には[[ブロードウェイ]]デビューを果たした。しかしなかなか芽が出ず、シカゴへ一端戻り、劇団で活動を続ける。注目されるようになったのは、[[デヴィッド・マメット]]演出の舞台に出演するようになってからで、マメットの初監督作品「スリル・オブ・ゲーム」から名前が認知されるようになる。その後は順調にキャリアを築き、[[1999年]]にはテレビドラマ「ラット・パック」に出演して[[ゴールデン・グローブ賞]]へノミネートされている。また[[1988年]]に[[ドン・アメチー]]と共演したクライム・コメディ「週末はマフィアと!」において、[[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞]]を受賞した。舞台でも[[トニー賞]]を受賞し、演技のみならず映画「[[消滅水域]]」では[[映画監督]]にも初挑戦している。
 
[[声優]]としても活動しており、米人気アニメシリーズの「[[ザ・シンプソンズ]]」において、スプリングフィールドに住むマフィアのボス“ファット・トニー”役の声を担当している。人気番組「[[サタデー・ナイト・ライブ]]」にも出演した経験がある。学生時代にはバンドにも参加しており、現在でもバンド仲間との交流はあるという。