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'''宇都宮空襲'''('''うつのみやくうしゅう''')は、[[第二次世界大戦]]中に[[アメリカ合衆国軍|米軍]]により行われた[[栃木県]][[宇都宮市]]およびその近隣地域に対する[[空襲]]。
 
== 宇都宮空襲に至る経緯 ==
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== 主な空襲 ==
* [[1945年]]([[昭和]]20)[[7月10日]] - 米軍戦闘機が宇都宮飛行場・宇都宮南飛行場を銃爆撃、近隣民家が被災、約5名が死亡。
* 1945年(昭和20)[[7月12日]] - 米軍[[B-29_(航空機)|B-29重爆撃機]]133機が宇都宮市街地域を中心に爆撃、市街区域の約65%の地域が被災、600余名が死亡した。この日の空襲を特に'''宇都宮大空襲'''とぶ。
* 1945年(昭和20)[[7月28日]] - 米軍戦闘機が来襲、宇都宮市内の工場を銃爆撃して5名が死亡。また東北線上り旅客列車が追尾され、[[小金井駅]](現在の栃木県[[下野市]])でその急襲を受け30名余が死亡。
* 1945年(昭和20)[[7月30日]] - 米軍戦闘機が宇都宮市街を銃爆撃、10名余が死亡。
* 1945年(昭和20)[[8月13日]] - 米軍戦闘機が宇都宮飛行場を爆撃、約10名が死亡。
 
== 宇都宮大空襲 ==
1945年(昭和20)[[7月12日]]夕方(日本時間)に[[テニアン島|テニアン]]基地の[[ハゴイ飛行場]]を飛び立った[[B-29_(航空機)|B-29]]の編隊133機(第21爆撃機軍団第58航空団)は、同午後11時頃に[[鹿島灘]]から日本本土に侵入、[[茨城県]][[水戸市]]上空を西進して[[栃木県]]に進入、同午後11時19分(米軍資料による)に宇都宮への空襲が開始された。攻撃目標は現在の宇都宮市立中央小学校であった。この日は降雨による悪天候であったため、[[宇都宮駅]]周辺、栃木県庁周辺、宇都宮市役所周辺、[[東武鉄道]][[東武宇都宮駅]]といった中心市街地一帯、当時の宇都宮市域の約65%が被災したものの、全滅は免れた。なお、空襲は宇都宮市域だけでなく、近隣町村である[[雀宮町]][[城山村 (栃木県)|城山村]][[横川村]][[瑞穂野村]][[清原村 (栃木県)|清原村]][[平石村]]<!--平出村、-->[[姿川村]][[豊郷村 (栃木県)|豊郷村]]地区(以上は現・宇都宮市)、鹿沼町(現・[[鹿沼市]])、真岡町(現・[[真岡市]])にも及んだ。翌日午前1時39分(米軍資料による)に空襲が終了し、米軍機編隊は東方に飛び去った。使用された爆弾はE46集束焼夷弾10,500発、M47[[焼夷弾]]2,204発であり、計802.9tが投下された。この空襲による罹災人口は47,976人、罹災世帯数10,603世帯、死者628名、負傷者約1,150名、焼失戸数9,490戸とわれている。
 
== 関連項目 ==