「第2回ジャパンカップ」の版間の差分

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[[19811982年]][[11月28日]]に施行された'''第2回[[ジャパンカップ]]'''について記述する。
 
* [[馬齢]]は全て旧表記を用いる。
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第2回はヨーロッパからも招待の対象となり招待馬の動静が大いに注目された。
 
フランスからは[[凱旋門賞]]で差の無い4着で入線し、前々走の[[ジョーヒルシュターフクラシックインビテーショナルステークス]]を6馬身1/2で、前走の[[ワシントンDCインターナショナル]]を6馬身で圧勝しており、既に名牝の呼び声が高いエイプリルランが出走を表明していた。さらに4歳牝馬でヴェルメイユ賞を勝っている[[オールアロング]]も出走を表明していた。
 
イタリアからはGⅢ1GIII1勝のスカウティングミラー(牡馬6歳)、西ドイツからはGⅢ1勝のパーゲノ、アイルランドからは重賞勝ちがないものの堅実に重賞で上位入選をしていたスタネーラ(牝馬5歳)が出走を表明していた。
 
アメリカからは2頭選出となっており、歴代賞金王で68戦31勝GⅠ12勝で前年のアメリカ年度代表馬となっていた[[ジョンヘンリー]](騸8歳)、34戦16勝GⅠ3勝の[[ナスクラスプリーズ]](騸馬6歳)の強豪が出走を表明していた。19戦7勝GⅠ1勝のマジャスティズプリンスが補欠に廻る状況であった。