「大阪松竹座」の版間の差分

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==概要==
テラコッタを使用したネオルネッサンス様式の正面大玄関の特徴あるアーチを持つ劇場建築は[[1923年]]([[大正]]12年)に竣工。大阪初の洋式劇場として開場した。[[梅田]]の[[HEP|北野劇場]]と並ぶ、大阪の洋画の殿堂として優秀外国映画の上映を行ったほか、[[OSK日本歌劇団|大阪松竹歌劇団]]のレビューも行った。その後は[[東急文化会館#映画館|渋谷パンテオン]]/[[丸の内ルーブル]]系列の[[映画館]]として「[[タワーリング・インフェルノ]]」「[[ジョーズ]]」「[[E.T.]]」「[[ボディガード_(映画)|ボディガード]]」など数多くのヒット作や大作を上映。また2階には[[松竹芸能]]の本社事務所がテナントで入っていた。1994年([[平成]]6年)5月8日に映画館としての役割を終え、劇場へ改装するため閉館。最後の上映作品は「[[風と共に去りぬ_(映画)|風と共に去りぬ]]」であった。
 
[[1997年]](平成9年)2月に、外観を残しつつ最新設備を備えた劇場として新築開場。松竹制作の[[歌舞伎]]、[[新劇]]、[[松竹新喜劇]]を原則月替りで上演している。また、[[春]]と[[秋]]には定期的にOSK日本歌劇団の公演も行われている。