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rv 簡雍がいつから劉備にしたがっているか簡雍伝には無い
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[[幽州]]涿郡([[河北省]][[張家口市]])の人。簡雍の[[姓|本姓]]は“'''耿'''”だったが、幽州では“簡”と発音されてたので、そのために改姓したという。
 
同郷出身の[[劉備]]とは旧知の仲であった。早い時期から常に劉備に随伴して、話し相手になったり使者を務めたりした。しかし、傲慢で無頓着な性格だったため、他人からの反発を買うことも少なくなかった。[[諸葛亮]]に対しても遠慮をしなかったという。劉備が厳しすぎる[[禁酒令]]を出した時は、これを諌めている。[[劉璋]]に降伏を勧める使者として成都に入城し、結果、劉璋を降伏させることには成功した。
 
劉備から昭徳将軍に任命されている。