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明治23年、卒業と同時に[[北海道]]に渡り、[[札幌農学校]]で養蚕学を修め帰郷した。明治24年、家業として蚕種製造を始め、『蚕種製造論』の著者として早くから全国の養蚕家に注目された。
 
明治24年、愛蔵はキリスト教精神に則り、東穂高禁酒会を提唱し、都会に憧れ、新しい知識を求めようとする村の青年たちに、キリスト教を語り、禁酒を勧めた。この[[禁酒運動]]は、明治27年、村に芸妓を置く計画に対し、反対運動を展開、豊科署に請願を提出し、廃娼運動も行った。
 
また、この志を同じくする1人に、愛蔵の友人の[[井口喜源治]]がいた。井口は県尋常中学松本支校(現・[[松本深志高等学校]])時代、英語教師のエルマー宣教師に出会い、すでにキリスト教の感化を受けていた。愛蔵はこの井口を助け、キリスト教に基づく私塾である「[[研成義塾]]」を起こすことにも協力した。