「エミール・ソーレ」の版間の差分

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8歳から[[ヴァイオリン]]の[[神童]][[ヴィルトゥオーゾ]]として[[フランス]]はもちろん、[[イギリス]]や[[ドイツ]]、[[オーストリア]]、[[イタリア]]で演奏活動を行ない、[[1872年]]に[[アメリカ合衆国]]にデビューした。[[フランツ・リスト]]とも共演している。[[1873年]]から[[1875年]]までベネズエラ人ピアニストの[[テレサ・カレーニョ]]と結婚。[[テオドール・クラック]]のベルリン新音楽アカデミーや、[[ロンドン]]の[[英国王立音楽院]]で教鞭を執る。[[1903年]]から[[1906年]]まで[[シカゴ]]や[[ジュネーヴ]]で指導を行い、最終的にロンドンに定住した。
 
100以上のヴァイオリン曲を作曲しており、そこには[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]の《[[ヴァイオリン協奏曲第1番_(パガニーニ)|ヴァイオリン協奏曲 第1番]]》第1楽章の有名な[[カデンツァ]]も含まれている。その他に《[[ヴァイオリン・ソナタ]] イ長調》やヴァイオリン独奏と管弦楽のための[[セレナード]]や[[バラード]]、[[スケルツォ]]、[[舟歌]]などがある。また教程本『パルナッソス山への階梯 "Gradus ad Parnassum" 』(1894年)も執筆した。
 
== 参考文献 ==