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'''真徳秀'''('''しんとくしゅう'''、[[1178年]]-[[1235年]])は、[[南宋]]中期の政治家。[[儒学者]]。号は西山先生。
 
幼少時から天才で知られており、4歳のときにはどんな書物を暗誦することができたという。南宋の第3代[[皇帝]]・[[光宗 (宋)|光宗]]に仕えて大学博士となったが、その後を継いだ[[寧宗 (宋)|寧宗]]には疎まれて地方官に左遷されてしまった。しかしそこで、[[泉州]]の交易や海防対策で功績を挙げている。寧宗の死後に即位した[[理宗 (宋)|理宗]]は儒学肌の教養人であったため、礼部郎と中書舎人に任じられて中央政界に復帰し、理宗の側近として活躍したが、当時の南宋の実権を握っていた有力者である[[史弥遠]]からその活躍を妬まれて左遷されかけたこともあり、結局、真徳秀が行なった理宗に対する10万にも及ぶ上奏による成果が挙げられることは無かった。理宗も真徳秀を重用することで儒学による治世を望んだが、当時は[[モンゴル帝国]]との問題もあり、これは実現すること無く終わったのである。しかし、[[朱熹]]の時代に起こった[[偽学の変]]で弾圧された儒学者たちを解放するように皇帝に進言してこれを実現させるなど、一部では評価されている功績がある。1235年、58歳で死去した。
 
著作に、「大学衍義」や「西山先生真文忠公文集」などがある。