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|| 83回 ||nowrap| [[中央大学]]<!--||中大-->
|| 第2回 || 第85回<br />(80回連続) ||nowrap| 計15回<br />(第7回)||nowrap| 計14回<br />(第6回) ||nowrap| 計14回<br />(第24回) || 出場回数、連続出場回数など、多くの部門で1位の記録を持つ箱根駅伝を代表する名門校大学。60年代に達成した6連覇を含めて14回の優勝を誇るが、これも最多回数である。その後80年前後にやや不振の時期があったが、以降も第72回大会総合優勝、第77回大会に往路優勝(37年ぶり)があり、安定した成績を残している。但しあくまでも総合優勝を目標に掲げることで知られており、黄金時代を知るファンからは物足りないとの声もある。戦前にはトラックでもオリンピックで入賞した[[村社講平]]、60年代の黄金期には現在も解説者として登場する[[横溝三郎]]、[[碓井哲雄]]、[[東京オリンピック]]代表の[[岩下察男]]が活躍。近年では[[1999年世界陸上選手権|セビリア世界陸上]][[マラソン]]銅メダリストの[[佐藤信之]]がいる。[[OB]]を中心とした「箱根駅伝を強くする会」なども設置され、全国にファンも多い。練習拠点は[[八王子市]]。襷の色は[[赤]]。<br />[http://homepage2.nifty.com/chuo84/ (中央大学陸上部応援ホームページ)]
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|| 80回 ||nowrap| [[日本大学]]<!--||日大-->
|| 第3回 || 第85回<br />(12回連続) ||nowrap| 計12回<br />(第16回)||nowrap| 計13回<br />(第13回) ||nowrap| 計13回<br />(第15回) || 優勝回数12回を誇り、戦前初の4連覇を果たした。この際に優勝旗を永久授与されたが、[[太平洋戦争]]によって焼失してしまい、竿だけが残ってしまった。戦後も中央大学と共に50年代から60年代にかけて覇権を争った時代があり、戦前戦後とバランスよく優勝を果たしている。ただ第50回大会を最後に既に30年以上総合優勝から遠ざかっており、第73回大会は本戦に出場できなかった。上位から中位争いに位置する堅実な戦い方が光るものの、総合優勝になかなか届かない現状から、ここ数年ケニアからの留学生ランナーを招聘し、巻き返しを狙っている。3度のオリンピックマラソン代表となった[[宇佐美彰朗]]は同好会出身者でありながら箱根駅伝を走った。練習拠点は[[世田谷区]]の文理学部キャンパスだが、大学の学部が東日本各地に分散する為に、ここで練習する選手もしてるものと思われる。近年は毎年のチームが考えてメッセージ入りの[[Tシャツ]]を作るようになっている。襷の色は[[ピンク|桜色]]。<br />[http://www.nichidai-ekiden.jp/ (日本大学駅伝部箱根駅伝オフィシャルホームページ)]
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|| 78回 ||nowrap| [[早稲田大学]]<!--||早大-->
|| 第1回 || 第85回<br />(33回連続) ||nowrap| 計13回<br />(第3回)||計13回<br />(第2回)||nowrap| 計15回<br />(第3回) || 第1回大会からの出場を誇る。優勝回数は12回。高校時代の優秀選手と、一般入試で入部してきた叩き上げの選手が合わさったチーム。[[OB]]なども含めてファンの数はかなり多いと言われる。日本大学と同様に戦前にも多くの優勝を記録している。戦後は50年代までは常に上位だったが、その後駅伝有害論(駅伝をやりすぎるとバネが無くなる為、好ましくないとされた)や70年前後の[[学園紛争]]の影響による部員数不足で欠場したこともあり、冬の時代に入った。この空白が出場回数及び連続出場回数で中央大学、日本大学に及ばない理由になっている。低迷久しかった70年代後半にOBの[[中村清]]が再招聘され、同じくして[[瀬古利彦]]の加入があってから盛り返し、80年代前半に優勝戦線へ。その後90年代にも[[渡辺康幸]]らを擁して、山梨学院大学との二強時代を築いた。近年は低迷しており、監督に就任した渡辺のもとで名門復活が待たれていたが、83回大会のシード獲得できっかけを掴みつつある。映画監督の[[篠田正浩]]も1度だけではあるが出場している。練習拠点は[[所沢市]]。襷の色は[[臙脂]]。<br />[http://www.waseda-ac.org/ (早稲田大学競走部)]
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|| 72回 ||nowrap| [[法政大学]]<!--||法大-->
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|| 65回 ||nowrap| [[専修大学]]<!--||専大-->
|| 第15回 || 第85回<br />(5回連続) ||nowrap| 計1回<br />(第20回)|| 計1回<br />(第20回) || 計1回<br />(第22回) || 優勝回数は1回。15校しかない[[箱根駅伝]][[優勝]][[大学]]のひとつで、法政大学、東洋大学などと共に古豪の代表格として君臨した。唯一の優勝は第20回大会だが、初出場から6年目で優勝は出場校が極端に少ない黎明期を除くと山梨学院大学と並んで最短タイ記録でもある。全体的には堅実に中位を確保するような手堅い戦い方だったが、50年代までは上位戦線で活躍している。なお予選会では6回のトップ通過を果たしており、これは予選会記録でもある。近年の成績は下位に甘んじていたが、[[加藤覚]][[監督]]の下、第83回大会で12年振りに[[シード]]権を獲得し、古豪復活を見せ付けた。練習拠点は[[川崎市]][[多摩区]]。[[襷]]の色は[[臙脂]]と[[深緑]]のツートーン。<br />[http://www.acc.senshu-u.ac.jp/taiikukai/41athletics/top_41athletics.html (専修大学陸上競技部)]
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|| 64回 ||nowrap| [[東京農業大学]]<!--||農大-->
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|| 62回 ||nowrap| [[筑波大学]]<!--||筑大-->
|| 第1回 || 第70回 ||nowrap| 計1回<br />(第1回)||nowrap| 計1回<br />(第3回) ||nowrap| 計3回<br />(第2回) || style="text-align:left;"|前身である東京高等師範(略称 高師、出場8回)、東京文理科大学(略称 文理、出場14回)、東京体育専門学校(略称 東専、出場3回)並びに[[東京教育大学]](略称 東教、出場23回)それぞれの回数を含む。優勝はいずれも東京高等師範時代のもの。( 注:文理科大は学制の構成上では東京高師と東京体専の直接の上位教育機関であるが、第11回大会から出場の文理科大には東京高師としてのものも含まれる。東京高師と文理科大の機関としての合併はあくまで1949年の学制改革時であるが、[[師範学校#昭和18年~昭和24年(1943年~1949年)|1929年に文理科大の併設学校として組み入れられ]]た事に因るもの)箱根駅伝の創始者でもある[[金栗四三]]の母校でもある。[[国公立大学]]としては勿論最多出場校である。記念すべき第1回大会の優勝校で、これが唯一の総合優勝である。戦前はもとより60年代にかけて上位戦線を賑わせた。その中から[[帖佐寛章]](順天堂大学)や[[築地美孝]](亜細亜大学)など、後に初出場を果たす大学の黎明期の指導者となった選手も育っている。80年代までは頻繁に出場していたが、最近は出場から遠ざかっている。鐘ヶ江幸治が選抜チームながら5区での活躍で金栗四三杯を獲得したことは記憶に新しい。練習拠点は[[つくば市]]。襷の色は筑波紫。<br />[http://blog.livedoor.jp/tohojuku/ (桐萠塾 筑波大学駅伝合宿所)]
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|| 61回 ||nowrap| [[日本体育大学]]<!--||日体-->
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|| 51回 ||nowrap| [[明治大学]]<!--||明大-->
|| 第1回 || 第85回 ||nowrap| 計7回<br />(第2回)||計5回<br />(第1回)||計5回<br />(第5回)|| 第1回大会から出場。優勝回数は7回。戦前から60年代にかけて活躍したが、順天堂大学、日本体育大学などが台頭したのと前後して低迷期に入った。80年代に幾度か出場はあるものの、40年以上シード権からも遠ざかっていたが、85回では43年ぶりにシード権を獲得した。05年に14年ぶりに出場し、上昇気配も。[[園原健弘]]は箱根駅伝を走り、[[バルセロナオリンピック]]では[[競歩]]の代表となった異色の選手である。練習拠点は[[東京都]][[世田谷区]][[八幡山駅|八幡山]]。襷の色は紫紺。<br />[http://www.kisc.meiji.ac.jp/~kyousou/ (明治大学競走部公式ホームページ)]
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|| 43回 ||nowrap| [[駒澤大学]]<!--||駒大-->
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|| 42回 ||nowrap| [[大東文化大学]]<!--||大東-->
|| 第44回 || 第85回<br />(42回連続) ||nowrap| 計4回<br />(第51回)||nowrap| 計4回<br />(第51回) ||nowrap| 計4回<br />(第49回) || 順天堂大学と共に大学駅伝三冠を達成している大学。優勝回数は4回。練習拠点は[[東松山市]]にあり、近くの[[国営武蔵丘陵森林公園|森林公園]]で[[クロスカントリー]]を[[トレーニング]]に導入している。その為伝統的に山のスペシャリスト養成に長けている。過去の優勝全てに山の区間での快走が絡んでおり、『山の大東』と称されることもある。中でも4年連続5区区間賞の[[大久保初男]]は有名。[[ソウルオリンピック]]代表の[[米重修一]]、[[アトランタオリンピック]]マラソン代表の[[実井謙二郎]]も同校出身者。90年代半ばに低迷期を経験するまでは長く上位入賞候補の常連だった。現在はやや波のある成績で復活が待たれる。84回大会で初めての途中棄権。襷の色はライトグリーン。<br />[http://www.aikis.or.jp/~momotomo/ (ライトグリーンの襷)]
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|| 41回 ||nowrap| [[神奈川大学]]<!--||神大-->
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|| 37回 ||nowrap| [[東海大学]]<!--||東海-->
|| 第49回 || 第85回<br />(37回連続) || 最高2位||計1回<br />(第81回)|| - || 05年初の往路優勝、最高順位は2位。3区、8区が大学と同じ平塚市内を通ることから、先代の総長のひと声で大学を挙げての出場を目指してきた。長らく中位あたりをしぶとくキープする戦いぶりが光ったが、『''湘南の暴れん坊''』と言われるように時に勢いのあるレースも見せる。優勝未経験の大学の中では最も優勝に近いと言えそうだ。[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]マラソン6位の[[諏訪利成]]が有名。練習拠点は[[平塚市]]で東海大記録会などもここで行われる。84回大会で2度目の途中棄権。襷の色は白紺のツートーン。<br />[http://tokai-track-field.shn.u-tokai.ac.jp/toppage%20new.htm (東海大学陸上競技部中長距離ブロック)]
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|| 32回 ||nowrap| [[拓殖大学]]<!--||拓大-->
|| 第14回 || 第85回 || 最高8位|| - || - || style="text-align:left;"|[[紅陵大学]](略称 紅陵)時代の出場回数(2)を含む。最高順位は8位。戦前からの出場校ながら度々不出場の時期があり、その意味でも再浮上のきっかけをつかみたかったが、近年は予選会で僅差の次点にあえぐこともしばしば。しかし箱根駅伝で大ブレーキに泣いた[[小林史和]]はその後奮起し、1500Mの日本記録を樹立している。練習拠点は[[八王子市]]。襷の色はオレンジ。<br />[http://homepage1.nifty.com/kenjo/ (拓大箱根駅伝いれこみページ)]
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|| 32回 ||nowrap| [[亜細亜大学]]<!--||亜大-->
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*なお、上記大学以外に選抜チームの一員として、日本学連選抜に[[徳山大学]]、[[京都産業大学]]、[[岡山大学]]、[[北海道教育大学]]、関東学連選抜に[[創価大学]]、[[国際武道大学]]、[[流通経済大学]]、[[麗澤大学]]、[[学習院大学]]、[[松蔭大学]]の選手が走っている。また走ることは無かったがエントリーメンバーとして、日本学連選抜に[[広島経済大学]]の選手が、関東学連選抜に[[山梨大学]]、[[玉川大学]]、[[東京大学大学院]]の選手が登録されている。
 
*箱根駅伝に関する出版物や報道などでは「伝統校」「名門校」「常連校」「中堅校」「新鋭校」などの表現がよく見受けられるが、これらの表現は必ずしも衆目の一致する物差しではない。出場経歴、実績など複数の視点で見ると、幾つかの表現が該当する大学が多い為である。([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の中継や同局の関連番組で用いられる表現については「[[新春スポーツスペシャル箱根駅伝#番組に関するエピソード|新春スポーツスペシャル箱根駅伝]]」中の記述を参照の事。
 
== 歴代出場校成績 ==