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'''クレマンス・ド・オングリー'''(Clémence de Hongrie, [[1293年]] - [[1328年]][[10月12日]])は、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]]の2度目の王妃。'''クレマンス・ダンジュー'''(Clémence d'Anjou)とも呼ばれ
 
[[ハンガリー王国|ハンガリー]]の王位請求者[[カルロ・マルテッロ・ダンジョ]]([[ナポリ王国|ナポリ]]王[[カルロ2世 (ナポリ王)|カルロ2世]]の長子)と妃クレメンティーネ([[神聖ローマ皇帝]][[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]の娘)の娘として生まれた。兄はハンガリー王[[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世]]。ルイ10世の従弟で[[ヴァロワ朝]]初代の王となる[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]は母[[マルグリット・ダンジュー]]がカルロ・マルテッロの妹であり、クレマンスにとってもフィリップ6世は従兄弟となる。
 
1315年、不貞を犯して幽閉されていた最初の王妃[[マルグリット・ド・ブルゴーニュ]]が獄死したため(ルイの再婚を可能とするため暗殺されたとも言われている)、同年8月にクレマンスと結婚した。