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早稲田大学進学後はエースとして国内外で活躍。[[2005年]]、[[第82回東京箱根間往復大学駅伝競走|第82回箱根駅伝]]予選会では個人3位に入り、早稲田大学予選突破の原動力となった。[[2006年]]、イタリアのロベレート国際大会5000mに出場し13分22秒36で4位に入った。これは当時の日本歴代3位、学生歴代2位の記録となった。
 
[[2007年]]、[[第83回東京箱根間往復大学駅伝競走|第83回箱根駅伝]]では2区を走り[[メクボ・ジョブ・モグス]]らを抑え区間賞を獲得した。第12回[[全国都道府県対抗男子駅伝競走大会]](ひろしま男子駅伝)では大学生・社会人混合区間である3区を区間3位で走り、兵庫県代表として優勝を飾った。4月29日には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[スタンフォード大学]]で行われたカージナル招待において27分45秒59を記録し、世界選手権の参加標準記録Aを突破した。またこれは渡辺康幸の持っていた10000mの学生記録を12年ぶりに塗り替えるものとなった。同年7月28日、[[ベルギー]]で行われたナイト・オブ・アスレチックスの男子5000mにおいて11位となり、13分19秒00を記録した。これは[[高岡寿成]]の持っていた5000mの学生記録を15年ぶりに更新するものであった。この2つの記録は北京オリンピックの参加標準記録Aを突破するものであった。この年から男女混合レースとなった第19回[[国際千葉駅伝]]では5区を走り、[[エチオピア]]勢らを抑え区間賞を獲得。日本チームの優勝に貢献した。
 
[[2008年]]、[[第84回東京箱根間往復大学駅伝競走|第84回箱根駅伝]]前には抱えていた故障が悪化し3区にエントリー、痛み止めを注射した状態で7人抜きの力走を見せ区間賞を獲得。早稲田大学12年ぶりとなる往路優勝に貢献した。その後目標を2008年開催の[[北京オリンピック]]出場に定めたが、故障が続き練習が積めない状態が続いたが、陸上日本選手権5000mに出場。ラストスパートで大勢を交わし[[松宮隆行]]に次ぐ2位に入った。この後北京オリンピック男子陸上日本代表に選出された。またこれは[[東京オリンピック]]に参加した猿渡武嗣([[中央大学]])以来44年ぶりの、現役の箱根駅伝ランナーの五輪代表選出となるものであった。同年8月17日、北京オリンピック10000m決勝では[[ハイレ・ゲブレセラシエ]]、[[ケネニサ・ベケレ]]らと走るも、中盤でのペースアップにはついていけず、28分23秒28の28位に留まった。8月20日、5000m予選3組ではベケレらと走ったが、13分49秒42の同組7位に終わり予選突破はならなかった。